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2012年1月20日

これからも「紙芝居のオッチャン」でい続けたい -近藤博昭さん-(1)

近藤博昭
一般社団法人 塩崎おとぎ紙芝居博物館

サラリーマン時代から始めて30余年。地元・池田を大切に、全国へも街頭紙芝居の楽しさ届ける

 拍子木を叩きながら紙芝居のオッチャンがやってくる――昭和20年代に子どもたちから絶大なる人気を博した街頭紙芝居。その街頭紙芝居に魅了され、紙芝居師になったのが近藤博昭さんだ。

 近藤さんが紙芝居師になったのは昭和50年代。「サラリーマンをしていたんですが、大阪市内で紙芝居師を見かけましてね。『まだやってたんや! 懐かしいなぁ!』と思って、紙芝居師の方に声をかけたんです」。当時、すでに街頭紙芝居は衰退し、街中で見ることはなくなっていたが「自分もやりたい! と思ったんです。昔見たという郷愁と、変身願望ですかね」。

 40代だった近藤さんは、勤め人として一番大変な時期。普段と違った自分になりたいという思いと、懐かしさが相まった。「人と接するのは得意ではないんですが、人前で何かやるのは好きでしてね。それに、子どもの頃は先生になりたかったんです。根が子ども好きなんですかね。だから、子どもたちと接したい、という思いがあったのかもしれません」。紙芝居屋のオッチャンになろう。近藤さんは紙芝居師に頼み、『絵元』と呼ばれる街頭紙芝居を作り、紙芝居師に貸し出す専門業者を紹介してもらった。
 「当時でも、全国で絵元さんはもう1、2件しかありませんでした。そのうち、大阪で絵元さんをされていた塩崎源一郎さんを紹介してもらったんです」。それと前後して、大阪府の紙芝居業者免許も取得。「もう、とにかく『紙芝居屋のオッチャンになるんや!』という気持ちが前へ前へいってましたから、塩崎さんにお会いした時は免許を取得してました」。

 ただ、街頭紙芝居を借りるのは簡単ではない。通常の印刷された紙芝居と違い、街頭紙芝居はすべてが手作りの1点もの。1枚でも紛失すれば、物語は成立しなくなる。また、紙芝居には続き物が多く、何十巻と続くものも少なくない。借り手がなくしてしまったり、返却されなければ、その物語は永久に演じられなくなってしまう。「身元がしっかりした人しか借りられませんでした。幸い、私はサラリーマンをしていましたから、塩崎さんと1~2時間くらい話しをして、貸し出してもらうことになりました」。そして昭和57年、地元・池田市の公園で街頭紙芝居師としてデビューし、五月山公園で開かれていた『春のフェスティバル』にも出演する。



これからも「紙芝居のオッチャン」でい続けたい<2>へ続く