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2012年1月23日
節分の日 -節分 そのいわれ、いろいろ-
みなさん、最近「節分」ってどうされてます?
2月の最初の行事、「節分」。スーパーでならぶ「煎り豆」や「恵方巻き」は、その特別感を何となく伝えてくれる習慣となっていますよね。子どものときにやった「豆まき」や「お寿司の丸かぶり」、実際は今どれくらいの方がされているのでしょうか。
ベルメゾンデッセの調査(2005年)では、1634人中、60.5%の人が何らかの「節分」にまつわることをしていたそうです。その割合は、関東より関西の方が顕著なのだとか。ということで今回、6割もの人が意識している「節分」の豆知識を並べてみました。
本当は年4回?の節分が、今日の「節分」になったワケ
2月3日は、節分の日。
日本人のほとんどが、当たり前のように知っているこの「節分」、本来は年に4回もある、季節の節目の日だったようです。これは、中国から伝わった暦の上で区切られていた「二十四節気」のうち、春夏秋冬の始まりを表す「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日を「節分」と呼んだためです。
中でも「立春」は、四季が一巡りした1年の最初の日であると考えられていたので、その前日である節分は、1年の最後の日である大晦日に同じ意味があります。そのために立春の前の節分は、他の節分より重要な意味のある、今日の「節分」となったわけです。
「鬼は外」の鬼って、悪者?それとも神様?
節分といえば、豆まき。
これも、日本全国で見られる節分風景ですよね。この豆まき行事は、中国の「追儺の儀式」と、立春前の節分とが一緒になったものだといわれています。
追儺の儀式とは、疫病や邪気を祓うための行事で、平安時代に中国から伝わりました。以来、「鬼やらい」とも呼ばれ、桃の木で作った弓と葦の矢で、都の四門から鬼を追い払い、1年の疫鬼を祓って新年を迎える、宮中の年末行事(12月末日の大晦日の夜に開催)でした。1年の厄を祓うこの行事が、二十四節気上の大晦日である立春の前日に行われるようになり、儀式自体を「節分」と呼ぶようになったそうです。
ところで、一般的な豆まきは「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまきますが、そう言わないところも数多くあります。また、「鬼=悪者」ではなく、「ある種の神様」として、「鬼は外」と言わなかったり、いわゆる鬼の格好ではなく、変装することで「別人格=神」になった者を招く神事なども行われています。
たとえば、
*中尊寺(岩手県平泉町)-
大相撲人気力士を迎え、厄男厄女による厄払い招福を祈る
*龍光寺(群馬県富岡市)-
園児が厚化粧、裃を着て登場(一種の稚児行列)
*鬼恋節分祭(群馬県藤岡市)-
「福は内、鬼は内」! 鬼呼び豆まき。合併で消滅した鬼石町の名にちなむ。
*鬼鎮神社(埼玉県嵐山町)-
「福は内、鬼は内、悪魔は外」
*三峯神社(埼玉県秩父市)-
ごもっとも神事
*總願寺(埼玉県加須市)-
大たいまつの赤鬼、有名力士、稚児行列
*五條天神社(東京都台東区)-
うけらの神事。中国の唐から伝来した平安時代のままの大儺の儀式が催行される
*成田山新勝寺(千葉県成田市)-
「福は内」、有名力士、芸能人が多く登場
*池上本門寺(東京都大田区)-
境内に鬼子母神を祀るので「福は内」、力道山の墓所があるためプロレスラーが出仕する
*稲荷鬼王神社(東京都新宿区)-
「福は内、鬼は内」
*箱根神社(神奈川県箱根町)-
厚化粧の少女の巫女たちが水上スキーの鬼に豆を撒く
*最乗寺(神奈川県南足柄市)-
舞妓(京都から出張)の豆撒き
*報恩寺(千葉県長南町)-
「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」
*成田山福井別院(福井県坂井市)-
舞妓の豆撒き
*鬼岩福鬼まつり(岐阜県御嵩町)-
「鬼は内」
*大須観音(名古屋市中区)-
鬼の面を寺宝としているため「福は内」のみ
*吉田神社(京都市左京区)-
室町時代より続く伝統行事であり、古式に則った追儺式が行われる。
*八坂神社(京都市東山区)-
舞妓の豆撒き
*廬山寺(京都市上京区)-
三色の鬼が舞い踊る
*大原神社(京都府福知山市三和町)-
「鬼は内、福は外」
*日吉大社(滋賀県大津市)-
破魔矢を射る「放射の儀」
*金峯山寺(奈良県吉野町)-
「福は内、鬼も内」
*長田神社(神戸市長田区)-
七匹の鬼が、松明で種々の災を焼き尽くし太刀で不吉を切り捨て、踊る
*吉備津神社(岡山県岡山市)-
豆まきのあと焚き火を囲んでほら吹き大会-ほら吹き神事
*防府天満宮(山口県防府市)-
神くじにより御神幸祭の神牛役を定めるという牛替神事
*須佐神社(島根県出雲市)-
蘇民将来の説話にちなんで茅の輪くぐりや神楽の奉納がある
などなど、日本各地の豆まきには、様々な鬼が登場するようです。まさに、災い転じて福となる、ですね(事例はウィキペディアより引用)。
なんで「煎り豆」をまくの?
豆まきの豆って、学校の給食でも小袋に入ったもの、ありましたよね。関西では、煎り大豆であることが多いのですが、新潟をはじめとする北関東地方では「落花生」も多いとか。殻に覆われているため、落ちても食べられる、と広まったようです。
いずれにしても、もとは年男や一家の主人がまいた豆を「自分の年の数だけ食べると、その年1年は病気にならない」といわれています。また、「年の数より1粒多く食べる」という地域も。たとえば三重県伊賀地方などでは、この1粒を「厄払い」とか「鬼の豆」と言って、肩越しに投げ、残りを食べる習俗が報告されています。また、妊婦のいる家庭では、この豆を安産のお守りにするところもあるそうです。
さて、この豆が「煎られる」必要とは?
これは一説によると、「陰陽五行(すべては木火土金水からなる)」の思想があるのでは、といわれています。
火で煎ることにより硬くなった豆は、「木(植物)」から「金(鉱物)」になったとみなされ、鬼を退治する飛び道具となるわけです。また、その煎り豆を食べることで、「疫病(金とされているもの)」を克服する、という意味にもなります。「金」に負ける「木」自身が「金」となり、再び「木」を助ける。そんな不思議なサイクルは、春の気といわれる「木」を守り立てる役目もある、つまり、節分の豆まきは「春を呼ぶ」役目の行事でもあるといわれています(つづき)。
→次回は「節分の日 ―作って飾って、楽しむ伝統行事」と題し、節分の日の飾りつけやお面イラストをご紹介します!
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