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2011年8月1日

『泥の河』 宮本 輝

第13回太宰治賞受賞作

あの時代を生きた者なら、誰でも心の中に泥の川が流れている。

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎこんでいく。その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに船津橋である。藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見おろしながら、古びた市電がのろのろと渡っていった」。

1977年、太宰治賞を受賞した本作は、信雄少年の目を通して戦争の影が色濃く残っている大阪の場末と貧しさに喘ぐ庶民の生活を描いている。信雄は泥の川に浮いていた舟に住む一家と知り合いになるが、「夜は、あの家に行ってはいけない」と言う禁忌を破ってしまう。そこで少年が見たものは、あまりにも哀しく、妖しく、悲惨な光景であった。大阪生まれで作者と同齢でありながら橋の在りかを断定できない自分がもどかしい。しかし、あの時代を生きた者なら、誰でも心の中に泥の川が流れている。高度経済成長の中を突っ走りながら、時折、そっと舟を出した夜もあったはずだ。信雄少年や舟の姉弟の心の襞に残酷なまでに切りこんでいく筆力に圧倒されながらそう思った。それにしても日本は豊かになり過ぎた。