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シネマ365日

2012年4月9日

再びヒッチコック特集9 マーニー(1964年 サスペンス映画)

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監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 ティッピ・ヘドレン/ショーン・コネリー

ヒッチコックの試練

 マーニー(ティッピ・ヘドレン)は、勤務先のいく先々で大金を盗んでは行方をくらます女金庫強盗だ。美人で仕事熱心、残業をいとわぬ精勤であるゆえ、雇い主の覚えはめでたくつい気を許したくなる。勤めて数ヶ月たち職場の信用をえたころ、隙をみて金庫をからにしてドロンだ▼マーク(ショーン・コネリー)の取引先がマーニーにやられた。マークは事務所にいたマーニーを覚えている。そのマーニーがマークの会社の求人に応募してきたのだ。マーニーにひかれていたマークは泥棒であることを知りながら雇用する。マークはマーニーの盗癖が自己破壊の衝動からくる病的な発作だとみて助けようとするが、大きなお世話だとマーニーはケンもほろろに拒否。結婚はするもののセックスをこばみ、マークが迫ると自殺を試みる。少女時代の殺人事件がトラウマになり、血を連想させる赤い色を極度に恐れ、母親の愛情をマーニーは希求していた▼ショーン・コネリーは1962年007シリーズ第一作「ドクター・ノオ」で脚光を浴び、1963年「ロシアより愛をこめて」1964年「ゴールドフィンガー」と主演、野性的な風貌とセックスアピールで新しいヒーロー像をうちたてていた。それが「マーニー」ではフィラデルフィアの旧家を継ぐ会社経営者、つまりアメリカの富豪ビジネスマンだ。マーニーに一目惚れし、マーニーが愛するサラブレッドは買ってあげるわ、マーニーの化けの皮をはがそうとする義妹からはかばってあげるわ、白馬の騎士もかくや…でもマーニーは頑強に彼の愛を拒むのだ。やっぱり病気だね▼女性映画批評家モリー・ハリスは著書「崇拝からレイプへー映画の女性史」で、こう「マーニー」について書いている「ヒッチコック映画で一貫してブロンドのヒロインが責められるのは、彼女らがなにか悪いことをするからでなく、愛やセックスや信頼といったものに無関心だからである。彼女らは罰を受け、その自己満足は砕け散らねばならない。それゆえヒッチコックはヒロインたちに過酷な試練を与えた」▼ふうん。であるから「放っておいて。お願いだから放っておいて」というヒロインの再三の懇請にもかかわらず「君を助けたいのだ」とマークは、無理やりマーニーの根っこにある過去にさかのぼる。その行為は彼女にとって身を裂かれるに等しい痛みを伴う。これが試練なのですね。ハリス女史は「マーニーは幼児のトラウマのため男性を憎んでおり、乗馬だけが性的抑圧を解放してくれる。彼女の窃盗は母の愛をえるための懸命のむなしい努力だ」▼でも母娘は理解に至り、マーニーはマークを受け容れることを示唆して映画はハッピーに終わるのだけど。ハリス女史の指摘は違う「社会一般の基準からすればマークは重荷をわかちあおうとする理解ある夫になるが、ヒッチコックの基準によれば彼も彼女と同じく倒錯した病的な人間だ」ヒッチコックは病的なのだ。なるほど。ヒッチコック本人は自作についてなんと言っているだろう「(マーニーでは)ある種の性的フェティシズムに興味を惹かれた。この物語の男は女が泥棒だからこそ彼女に欲望を感じる。残念ながらこの性的フェティシズムは本作にはあまりよくでていない。はっきりいえばティッピ・ヘドレンが会社の金庫から金を盗む現場をおさえたショーン・コネリーが、すぐその場で彼女にとびかかり強姦してしまうところをみせるべきだった」(「映画術」)。好きに言って。映画はおもしろかったから。

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