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特集「ディーバ(大女優)」

2012年5月11日

特集 ディーバ(大女優)1 イングリッド・バーグマン 秋のソナタ (1978年 家族映画)

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監督 イングマル・ベルイマン
出演 イングリッド・バーグマン/リブ・ウルマン/ハルバル・ビヨルク/レナ・リーマン

白鳥の歌 

 脚本を読んでバーグマンが言った「7年間も娘を放っておける母親がいるかしら」彼女はロッセリーニと駆け落ちしたとき、アメリカに置いてきた娘と6年間会えなかったときの辛さを自伝に書いている。母親シャルロッテのセリフにもいちいちNGをだし、納得できなければ役を受けるわけにはいかないと主張した。ベルイマンは予想していたのだろう「イングリッド、強制収容所にはいればどんなことでも人はいうだろう」イングリッドは納得した。ヒッチコックといいベルイマンといい「注文の多いイングリッド」への対応はちょっとしたショート・ショートのようだ▼世界的なピアニストである母親が、ノルウェーにいる娘エヴァ(リブ・ウルマン)のもとを訪れる。パリからベンツを自分で運転してくるエネルギッシュな母親である。牧師のヴィクトル(ハルバル・ビヨルク)と結婚した娘は静かに幸福に暮らしている。7年ぶりに会うのだ。演奏旅行で世界中を飛び回っていた母親にかまってもらえなかった娘は成長した今も「愛し方を知らない」と告白し求婚した夫を驚かせた。母親もぎこちなさを取り繕うように、着いたとたん一方的に自分のことをしゃべりまくる▼娘は脳症害があり進行性の退行をもつ妹のヘレン(レナ・リーマン)も呼んでいると打ち明ける。母親はとびあがり「療養所じゃなかった?」と人の子のようにびっくりする。お母さんに聴かせてあげたいといっていたじゃないかと促す夫の言葉に、エヴァはピアノの前にすわるがあがってうまく弾けない。お母さんの意見をきかせて、なんていわなくてもいいことをいう。もちろん母親は「上手よ」とほめる。娘はそれですませたらいいものを「もっときかせて」そこまでいうならと母親は自分で弾く。だんだん「強い母親」と「従う娘」の確執が頭をもたげる▼猛烈仕事人間の母親に放っておかれて愛に飢え、人間不信になった娘が酒の勢いで深夜母親に怨念をぶちまけるのがクライマックスだ。しかし、である。父親と息子の関係はいざしらず、母親と娘というのは特別な連帯というか、犯罪でいえば共犯というか暗黙裡の濃い関係がある。バーグマンは仕事人間の見本みたいな女性だったが、娘のイザベラが脊椎湾曲症という難病による困難な手術と予後の間、18ヶ月「ママは仕事をやめました」とイザベラは回想している▼劇中のバーグマンはエヴァに難詰され、ショックで翌日しおしお娘の家を出ていくのだが、へこたれているどころか、娘がどんなに自分を怨もうと、娘に対する自分の愛情を疑ったりしていない。余裕綽々「今はピーピー言っているけど、あの子だってそのうちわかるわよ」という腹の太い、しかも母性をたたえた繊細な表現で演じさすがだ。思うに「腹を痛めた」というベルイマンには(というより男には、か)絶対わからない実感をふまえたバーグマンが、自信をもって母親像を演じたというべきだろう。ベルイマン映画独特の観念的なところが「秋のソナタ」では影をひそめている。ベルイマンの映画はとにかくクローズアップが多いから、顔のしわの一本一本の動きまでスクリーンに出る。だから表現の弱い役者はそれだけで沈没である▼撮了まで2週間というとき、バーグマンはもう一方の脇の下に再び異常を覚えた。ガンの再発だった。ベルイマンはすぐ、優先して撮るべきシーンを終了しバーグマンは入院した。手術の後ロンドンのヘイマーケット劇場(1720年に設立)でN・C・ハンターの戯曲「月の海」に主演する。千秋楽がはね、バーグマンは迎えの車を待つあいだ、観客席にすわった。最前席から5列目だった。重々しい緞帳や、金色の彫刻や頭上の巨大なシャンデリアのある美しい劇場を眺めた。帰りたくなかった。車は急がなくて良いと知らせ、道具方が装置を解体し手押し車で運んでいくのを見ていた。彼らは戻ってきて掃除を始めた。支配人がきてしばらくおしゃべりをした。公演が始まってから毎日満席だったのはこの劇場始まって以来のこと、見にきていた日本人グループは、日本では吹き替えだからバーグマンの肉声が聞きたくてやってきた、そして最後の幕がおりるまで声を聞いていたという▼明日は新しい装置が舞台に設定され芝居の初日が幕を開ける。「私はまるで存在しなかったかのように忘れられてしまう。だが私は最後まで見届けた。私の人生は秋のソナタと月の海で完結したという気がした」だれもいない劇場にひとりすわり、バーグマンは自らの白鳥の歌を聴いた。このあとバーグマンは医師の即刻入院を拒否して、自分だけのゆったりした休暇を過ごす。自伝の最後はこう終わっている「私はかねがね命のあるかぎりいつまでも演技をつづけようと思っていた。なぜならわたしは演劇界や映画界や、わたしたちが創りだすみせかけの世界に住む人々の一人だからである。初日の夜が苦痛であることは知っているが、その苦しみさえ私たちを家族のように結びつける。私たちは毎夜舞台にたって私達の美しい世界を共有する。決してあきらめる必要はない、少なくともどこかのプロダクションが常に老いたる魔女を必要としているからだ。とりわけクリスマスのころともなると魔女はひっぱり凧である。だからわたしは生涯の終わりにあってもいつでも演技をする用意はできている」1982年8月29日没。67歳。

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