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2012年5月10日

ウーマンライフ 2012母の日エッセイコンテスト 全応募作品を公開!(10)

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2012年5月13日 母の日
ウーマンライフ 母の日エッセイコンテスト

 ウーマンライフ母の日エッセイコンテストに多数のご応募をいただき、誠にありがとうございました。
 11歳から80代までの読者の皆様から寄せられた、全作品を公開致します。
(受賞作品以外は順不同・敬称略)

米谷 タツ子
奈良県生駒市俵口町

黄泉の国の母え

老いた娘より

 お母さんお変りありませんか、其ちらに行かれてから、長い長い年月が過ぎましたが、お便りもせずごめんなさいね。いつも優しく其して強い母さんが居たから、今の私があると思っています。どんなに感謝しても至りません。お別れしてから、雨や嵐の日も多くありましたが、冷たい冬も去り、美しい花も咲く暖かい春の日々の中、優しい娘達、孫に囲まれ、幸せの日々を送っています。
母さんにも、良く見えている事でしょう。時々娘達と話しているのですが、母さんの好物一ぱい送ってあげたいなんて、笑わないでね。何分余りにも遠く配達はむりですね。どうぞ笑わないで下さい。そろそろ私あの日の母さんよりずっと年を重ねてしまいましたよ。あっ此れも早くから御存じでしたね。此んな世の中心痛む事も多いけど、がんばっています。今度の母の日には、母さんの好きだったお花、一ぱい飾りたいと思っています。お元気で。さようなら






阪上 てる子
大阪府大阪市住之江区粉浜西

大正15年生まれで85才の母。その時代の多くの女性がそうだったと思いますが、
四人の弟や妹がいて父親が赤紙一枚で出兵したので、母親を助ける為、学校の先生に
勧められた女学校進学を諦め実家の農業の手伝い。終戦後、結婚し舅・姑・小姑・小
舅等多い時は13人もいたそうです。最近聞いたのですが私が赤ちゃんの時「高熱な
のでお医者に連れて行きたい」と舅に言ったら「おっぱいを飲ませとけば直る」と怒
られたそうです。当時舅がお金を管理していたので母が自由になるお金はなかったそ
うです。『元気に育ってくれて良かった。』と母がしみじみ言いました。私は高校を
卒業して家を出るまで母の背中を見て育ったので、母の苦労に比べたら『私の苦労は
大した事ではない。』と思って乗り切る事が出来ます。お母さん。有難う。





太田 陽子
奈良県奈良市南京終町

心の母へ
 母が亡くなって7年がたちます。3年の闘病の末、ひっそりと息をひきとりました。当時は、暗い病室で1人逝った母を思い毎夜泣きました。今、朝は「おはよう」と言いながら仏壇の扉を開け、夜は「今日も一日有り難う、おやすみ」と言って扉を閉めます。時にはその日の出来事、悩みの相談、体調について等いろいろ話しかけます。声に出して話す事もあります。写真の中の母が笑ったら嬉しくなり、困ったような顔をすると不安になります。全ては自分の気持ちの表れなのでしょうが、「大丈夫や」「カンバレ」という声も聞こえるんです。居なくなってから母の存在をより大きく感じています。今も母の日にはカーネーションを贈ります。7年前から歳をとらない母と、毎年母の年齢に近づいていく私。「お母ちゃん、いつも見守ってくれて有り難う、これからも頼むよ」





ウーマンライフ 母の日エッセイコンテスト2012
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