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特集「ディーバ(大女優)」

2012年6月3日

特集 ディーバ(大女優) 悪女の元祖 ベティ・デイビス 黒蘭の女 (1938年 恋愛映画)

監督 ウィリアム・ワイラー
出演 ベティ・デイビス/ヘンリー・フォンダ/フェイ・ベインター

「卑しさが好きなの」

 1940年代前後という時期を女優史でとらえれば面白い。一癖も二癖もある女、一筋縄でいかない女がぞくぞくスクリーンに現れてくる。その先陣をきったのがベティ・デイビスだといってもあながち誇大ではないと思えるのだ。舞台から映画界入りはしたものの「鳴かず飛ばず」だったデイビスは26歳のとき(1934年)「痴人の愛」で俄然注目を集める。ご存知S・モーム「人間の絆」の映画化で、男を手玉に取りながら自壊していくヒロインだ▼翌年1935年「青春の抗議」はやはり男が身を滅ぼす宿命の女で最初のオスカー主演女優賞。36年「化石の森」37年「札つき女」そして38年「黒蘭の女」で二度目のオスカー。トップ女優の座を占める。デイビスの成功に前後するように映画界ではこんな作品公開が続く。「砂塵」(39年マレーネ・ディートリッヒ)「妖花」(40年同)「女の顔」(41年ジョン・クロフォード)「血と砂」(同年リタ・ヘイワース)「カサブランカ」(42年イングリッド・バーグマン)「ならず者」(43年ジェーン・ラッセル)「脱出」(44年ローレン・バコール)「深夜の告白」(同年バーバラ・スタンウィック)「ミルドレッド・ピアース」(45年ジョン・クロフォード)などがある。顔ぶれを聞いただけでゾクッとする硬派なメンバーであろう▼悪女役によってデイビスは花開いた。彼女の個性といい持ち味といい、それまで映画に描かれるというより、まともに取り上げられることさえ少なかった、女のあくどさ、残酷さ、愚かさ、卑しさのステレオタイプ的解釈をかなぐりすて、そんな女が隠し持つ健気さや、可憐にさえみえる情感に、強烈な性格と演技力によって肉体を与えたのがデイビスだった▼「黒蘭の女」の原題は「ジザベル」。ヒロインの性格決定がよくわかるタイトルなので説明すると、ジザベルは旧約聖書列王記に登場するイスラエルの女王、アハブ王の妻。夫にぶどう園を売ることを拒否したナボテを偽証で罪人に陥れ、ぶどう園を奪う。夫の死後王位についた将軍に塔から落とされ、遺体は犬に食われた。以後ジザベルは妖婦・悪女の代名詞に用いられる。しかしデイビスのジザベルをウィリアム・ワイラーはそうは描いていない。これはワイラーとデイビスの初めての映画で、このあと「月光の女」「偽りの花園」とコンビが続く。完璧主義のワイラーとトップ女優による映画づくりの支配権争奪の葛藤はあったと思うが、結果的にデイビスはいい仕事をしたのである。ワイラーへの尊敬と感謝の念に(一説では愛情も)やぶさかではなかっただろう▼時代は1852年のニューオリンズ。名家の令嬢ジュリー(B・デイビス)は叔母ベル(フェイ・ベインダー)に育てられいっしょに暮らしている。美しく気の強い、わがままだが因襲にとらわれない娘だ。恋人は銀行家のプレス(H・フォンダ)。プレスは仕事に打ち込む好青年だが、ジュリーのわがままに手をやく。社交界のパーティーにジュリーは赤いドレスを着ていくと言い張る。当時未婚の女性は白いドレスを着るもの、赤は下品という通念があった。プレスが着替えるよう頼んでもジュリーはあとへ引かない。「わたしが非難されたら守って」なんて言われプレスは腹を決める。パーティーでのあまりの拒否反応にさすがのジュリーも逃げ帰ろうとするが、意地になったプレスはダンスをやめない。そのかわりジュリーと結婚するのをやめてしまった▼一年後プレスは新妻を連れて北米から戻る。棄てられたジュリーは叔母にこういう「なぐさめはけっこうよ。泣いたりしない、闘って奪いとるわ」スカーレット・オハラと同じ南部女の面目である。街は黄熱病が猛威をふるっていた。プレスも罹患する。患者は島に隔離される。いっしょにいくという妻にジュリーはいう「愛だけで助けることはできないわ。プレスが送られるのは病院じゃないの。死の島なの。北部のあなたに黒人の言葉がわかる? わたしなら使いこなせる。多くの患者がいて日夜休みなく看病しなければならない。体をきれいにし薬や食べ物を与えるの。プレスが愛しているのはあなたよ。わたしはひどい女だったもの。プレスと取り戻そうとしたけどムリだった。でもわがままな女だけでなかったことを示したいの」女を泣かせるセリフであろう。妻は「主人をお願いします」全権を委任し、ジュリーは感染の恐れをものともせず、重篤患者が陸続と搬送される荷車に乗って船に向かう。そのときのデイビスにハワード・ホークスが評した「カナリアを食った猫みたい」な表情はない。首を反らしきっと前をみつめ、唇を堅く結んで運命にたちむかう美少年のようである▼赤いドレスでドジをふんだとはいえ、プレスを迎えたジュリーは、懺悔のように白いドレスを着用し「堕落した女だったと反省しているの、控えめな女になるわ」とひざまずくシーンがあった。赤いドレスのどこが悪い、と今日ならいってしまうだろう。社会通念を逆なでしたばかりに男に棄てられたなど、割をくうのはどこまでも女だった時代だ。ジュリーのわがままも普通ではなかったから、男が逃げたのは仕方ないとしても「控えめな女になるわ」と反省するところなど、ワイラーは健気な悪女の一面を描いた。しかしここで蒔かれた悪女のタネはみるみる地下に根を張り、骨の髄まで悪女、と思えばはつらつとした悪女、あるいはまた男を狂わし破滅させる運命の女、という新しい女像をスクリーンに輩出させていく▼もうひとつ、ワイラーのきめこまかさ、人間への理解の深さをあげておきたい。叔母はジャジャ馬で行き過ぎはあるものの、気性がまっすぐで心に愛情をたっぷりたたえた姪を愛し、母親代わりに育ててきた。彼女の直言をひとつも受け入れない姪が、いずれ男から愛想をつかされ、女には非難され世間には見放されるだろう。彼らは正しい、彼らの常識はもっともだと叔母はわかっているがこう言う「ジュリーの卑しさがわたしは好きなの」愛とはこういうものだ。ジュリーのすることなすこと、いちいち頭にきながらも姪の純情を見抜いている叔母にフェイ・ベインダー。オスカー助演女優賞を受賞。

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