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特集「ディーバ(大女優)」

2012年6月9日

特集 ディーバ(大女優) 悪女の元祖 ベティ・デイビス ふるえて眠れ (1964年 スリラー映画)

監督 ロバート・アルドリッチ
出演 ベティ・デイビス/オリヴィア・デ・ハヴィランド/ジョゼフ・コットン/アグネス・ムーアヘッド/セシル・ケラウェイ/ブルース・ダーン

敬意とともに見送りたい

 「何がジェーンに起こったか」から2年、ロバート・アルドリッチとベティ・デイビスが再びタッグを組んだ。デイビス56歳、アルドリッチ46歳のときの映画だ。アルドリッチの主人公たちは男でも女でも、ロマンティックのかけらもない。男も強いし女も強い。共通点は感傷がないことだ。それなのに石の上に花が咲いたようなアルドリッチの叙情をなんといおう。「何がジェーンに起こったか」のラストの海浜で舞うデイビスの切なさ。微塵の遅滞もなく人間のダークネスをさばく包丁さばきに、みとれているうちにしみじみと何かがこみあがってくる▼「ふるえて眠れ」のヒロイン、シャーロット(ベティ・デイビス)は37年前、不倫の恋人ジョン(ブルース・ダーン)が、手首と首を斧で断ち落とされ惨殺された。そのショックで精神に異常をきたし、メイドとただ二人広大な屋敷に住む。道路拡張計画のため屋敷を立ち退かねばならないが、シャーロットはガンとして居座る。「パパ」と彼女は父の肖像画に話しかける。恋人を殺したのは父だと彼女は信じている。役所の立ち退き請求に対応するためシャーロットは従姉妹のミリアム(オリヴィア・デ・ハヴィランド)をヨーロッパから呼んだ▼ミリアムを毛嫌いするのが、シャーロットを子供のころから世話するメイドのベルマ(アグネス・ムーアヘッド)だ。これがいい。ミリアムが腹黒い女だとベルマは知っている。シャーロットは異常でもなんでもない、神経が繊細なだけで、そこにつけこむのがミリアムの手口だと承知している。シャーロットの主治医ドルー(ジョセフ・コットン)はミリアムの情人だ。屋敷を乗っ取り、シャーロットを施設に入れ、自分らは高飛びする計画を練る。37年前の事件を利用し、トラウマで傷めつけられたシャーロットの気を狂わせ、ベルマを始末しなければならない▼シャーロットは恋人を死に追いやったのは自分だし、父に殺人を犯させたのも自分だし、恋人の妻を悲しませたのも自分だし、どっちを向いても自己否定しかない37年を生きてきた。父の肖像画に懺悔しながら屋敷を守ってきた。観客はふと気づくだろう、普通ならできることではない、殺人の疑惑という重圧のストレスと、孤独に耐えられる強い精神の女が、狂っているはずなどないのだ。ここでもう一人の登場人物が現れる。元保険会社の調査員であるハリー(セシル・ケラウェイ)は、夫の死後保険金受け取りの手続きをしない未亡人に、不審をもった保険会社から37年前の事件の再調査を命じられたのだ▼ハリーは調査を進め、ジョンの未亡人ジュエルに会う。彼女は重い心臓疾患で余命わずかだと知り、自分が死んだらこれを開封してほしいとハリーに一通の手紙を預ける。シャーロットはミリアムの罠にはまり神経はズタズタ、女主人を屋敷から救出しようとしたベルマは殺される。すぐ悪態をつきながらも主人を思う忠実で素朴な愛情の持ち主・ベルマを演じてアグネス・ムーアヘッドはオスカー助演女優賞にノミネート、ゴールデングローブ賞助演女優賞を獲得した▼ミリアムとドルーが悪巧みの成功に気を許し、ベランダの下で「シャーロットの父もジョンも女たらしだった」と立ち話しているのをシャーロットは聞く。そんなだらしない男たちを愛し、敬慕したために心に深手を負い、自分たちの餌食になったシャーロットを嘲笑する。アルドリッチとデイビスの呼吸がぴったり一致しているのはこういうシーンだと思うのであるが、この会話をきいたとたんシャーロットはベランダの巨大な鉢植えを、二人の頭上に突き落とす。一瞬のためらいもない復讐である▼シャーロットが屋敷を立ち退く朝がきた。迎えの車に乗るシャーロットに、ハリーが手紙を手渡す「あなたがいちばん知りたかったのはこれでしょう」と言って。未亡人は昨夜亡くなったのだ。車の中で内容を読んだシャーロットは車窓のガラス越しにハリーを探す。ハリーはウィンクしてみせる。名残おしげに振り返るシャーロットをハリーは温かく見送る。手紙の内容は明かされない。その文面を映すほどアルドリッチは幼稚ではない。しかし感謝と気品と安堵をとりもどしたシャーロットの表情から、真犯人は嫉妬に狂った未亡人であったことが示唆される。自分のために父が殺人を犯し、また愛人も自分のために殺されたと信じていたシャーロットは重圧からの解放と救済を得た。いつまでくどくどこんなことを書いていても、アルドリッチの映像とデイビスの演技の前には無駄というものだろう。わたしたちもまたハリーのように口を閉じ、敬意をこめてシャーロットの車を見送りたいと思う。