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映画監督特集

2012年7月2日

特集 ルキノ・ヴィスコンティ 山 猫 (1963年 シリアスな映画)

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監督 ルキノ・ヴィスコンティ
出演 バート・ランカスター/アラン・ドロン/クラウディア・カルディナーレ

透徹した無常観

 開放した窓からそよ風が入り、家族そろって祈りをささげる広間に、銃声とただならぬ気配が達する。なにごとだ。当主のサリーヌ公爵はたちあがる。バート・ランカスターの顔がクローズアップされる。ここがいい。白いものはまじっているが、たっぷりたくわえた口ひげに揉み上げ、がっしりと筋の通った鼻、落ち着いた鋭い視線、ピンと背の伸びた上背のある偉丈夫。これから物語る話はこの人のことと思ってくれてよい、そんなふうに受け取れるプロローグだ▼時代は1860年、イタリア全土はブルボン王朝から国王エマヌエルの統治下に入った。シシリアの名門サリーヌ公爵家(紋章は山猫)にとっては貴族階級の地殻変動である。甥のタンクレディ(アラン・ドロン)はすばしこく時代の交代を読み取り革命派につく。公爵は、一時はアタマにくるがそれもよしとし、かつてなら考えられなかった身分違いの娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)とタンクレディの結婚にも同意する。これからの時代を生きる野心のある男には金がいる、アンジェリカの父親はやり手で、資産家で利殖に長けている。幻想などもちあわせていないが必要なら創りだす。新時代向きだ。だからこの結婚は「後押ししてやろう、ちと品のない連中だが」と公爵はつぶやく▼忠僕の嘆きに公爵はこういう「中産階級が我々にとってかわるが階級が交代するだけだ。我が国はすべて妥協で動くのだ。お前が敬愛する人たちの立場がよくなるとは考えられないが決して滅びない。生き残るためには多少の変革は受け入れねばならぬ」大舞踏会に招かれた公爵は、嬉々として集まった名門貴族たちの娘が、豪華なベッドの上でジャンプして飛び跳ねているのをさし「われわれはいとこ同士の結婚が多かった。あれをみると猿が遊んでいるように見えないかね」と貴族社会の退廃を嘲笑する。そこに男の子が1人もいないのは、いかにもヴィスコンティらしい▼ドロンは調子のいい貴族の後裔を、カルディナーレは成り上がり者の図太さを、とにかく時代は彼らのものだから勢いがいい。国会議員に立候補して保守体制に力を貸してほしいという懇請も公爵は断る。理由は「われわれは向上を求めてはいない。現状を肯定する者に向上は望めぬ。自己満足は悲惨より強い」ガンとして動かない。充分に生きたのである「われわれは山猫だった、獅子だった。山犬や羊が取って代わるだろう。そして山猫も獅子も、また山犬や羊すらも自らを地の塩と信じ続ける」この聡明な透徹した無常観で3時間に及ぶ大絵巻は巻を閉じる▼「山猫」はヴィスコンティのフィルモグラフィの中間に位置し、それまでネオリアリズモの旗手だったヴィスコンティは「山猫」以後、貴族社会の絢爛たる虚無と盛衰を撮り続ける。細かいことは省くが豪華・荘重・贅沢とかを日常呼吸する感覚が「山猫」にあふれている。ヴィスコンティは57歳だった。「山猫」が滅びの美学とよくいわれるがとてもそうは思えない。後期のゲルマニア3部作にある陰々と破滅に向かうのではなく、掌を指す如く知り尽くした領域を、映画にする精気がほとばしっている傑作だ。

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