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映画監督特集

2012年7月6日

特集 ルキノ・ヴィスコンティ ルートヴィヒ (1972年 伝記映画)

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監督 ルキノ・ヴィスコンティ
出演 ヘルムート・バーガー/ロミ・シュナイダー/トレバー・ハワード/シルバーナ・マンガーノ/ヘルムート・グリーム/ジョン・モルダウ・ブラウン

イノセントの悲劇 

 「夜ほど美しいものはない。夜や月の崇拝は女性崇拝で、太陽や昼は男性崇拝だという。しかし夜の神秘と荘厳さは、わたしにとって英雄たちの王国なのだ。同時に理性の世界なのだ。わたしは謎だ。謎でいたい。永遠に。他人ばかりか自分にとっても」これは本作のラスト近く、ルートヴィッヒ(ヘルムート・バーガー)がいう最後のセリフだ。こういう人物が本編の主人公なのだとまず思おう▼ルートヴィッヒの生涯に影響を及ぼす主要人物がワグナー(トレーバー・ハワード)と従姉妹にあたるオーストリア皇后エリザベート(ロミ・シュナイダー)。ルートヴィッヒとは19歳で国王となった青年である。生真面目で勉強家で、純粋無垢だった。彼は国王として国務を、すぐれた芸術を導入することによって国民を啓発し、心を豊かにしようと方針を定めワグナーの召喚を命じた。意図は決して間違っていませんよね。借金まみれのワグナーは喜んで飛んできて、家が安っぽい、調度が貧弱だ、専用の劇場がいると贅沢な注文を付け放題。愛人コジマ(シルヴァーノ・マンガーノ)と二人して「出来もしないことを約束し、愛だの友情だのと、愚かな若造だ。変人の家系の末裔だ」とあざわらっているのに、ルートヴィッヒだけがわからない。家臣たちは「ワグナーは税金の浪費家にすぎず、不義の女と暮らし、その夫は軽蔑すべき日和見主義で保身のために不義に目をつぶっている」ケチョンケチョンに、でも本当のことをいうのだが、ルートヴィッヒは反対を押し切って「トリスタン」を上演する▼ルートヴィッヒがただ1人心を許した女性エリザベートに、公演の成功を喜び勇んで報告する。エリザベートは冷たく「いくらかかったの。費用は。税金をいくら使ったのよ。君主とは歴史とは無縁の存在、暗殺でもされぬ限り民衆はすぐ忘れる。ルートヴィッヒ、あなたは一人でいてはダメ。結婚しなさい」と現実に引き戻そうとするが「あなたまでそんなことを。経費とか結婚とか。僕はまだ19歳だ。女性はあなた以外に愛せない」こりゃもうラチが開かん、とみてとったエリザベートは、てきぱき自分の妹ゾフィーと婚約させる。いざ結婚。未経験のルートヴィッヒのために閣僚たちはその筋の女性を呼ぶ。ルートヴィッヒは礼儀正しく遇するもののトンチンカンな話題ばかり。女はシャンペンをガブ飲みし、自分は国事に巻き込まれたと気勢をあげ、強引に迫るがうるさくなったルートヴィッヒは女を水風呂に放り込んでしまう。ゾフィーは姉に訴える「舞踏会では置き去りにする、外出には誘わない、訪問も途絶えがち、来るときは突然だから外にも出ておれない。来ても滞在は少しだけ。家の門の前に花を置いていく。カードも添えず、まるで墓の献花のように」▼婚約の破棄と普仏戦争の敗北、弟オットー1世(ジョン・モルダウ・ブラウン)の精神の変調。ルートヴィッヒはますます自分だけの世界に閉じこもる。ルートヴィッヒに忠誠を尽くす臣下、デュルクハイム大佐(ヘルムート・グリーム)は「我々の世界の現実は純粋ではなく、善も悪もありません。義務を無視した幸福を見出しても錯覚です。人生を愛するものは慎重に生きねば。国王の大権にしても社会の枠内に制限されています。王についていけるのは道徳的束縛がなく、快楽を自由であると解釈する人だけです。そんな人は遠ざけるべきです。別の存在理由を見つけるべきです。平凡さを受け入れる素朴な人間のそれを。それが孤独から逃れる唯一の方法です」大佐の存在は、限りなくルートヴィッヒ寄りであり、ルートヴィッヒにほとんど精神的双子の共鳴を感じているルキノ・ヴィスコンティにとって、もう1人の「逸脱しないヴィスコンティ」の知性の具体化であろう。この忠臣に扮するのが「地獄に堕ちた勇者ども」で金髪のメフィスト・アッシェンバッハを演じたヘルムート・グリームです▼純粋な世界、魂の世界、霊魂の不滅と神の正義を信じ、人間は唯物主義だけで満足はできないと自信をもって断言する国王。彼は国事に情熱をもつ、私心ない聡明な青年であったはずだ。すくなくとも英君の資質を充分に備えていたのに、現実はそれを許さなかった。ルートヴィッヒはますます国務に関心を示さず世の中の出来事に背を向け、城の造営に没頭した。国王を正気にもどそうと、万策つきた閣僚たちはエリザベスにSOSを発する。ルートヴィッヒに会う前に彼が建設した城を見て回ったエリザベスは、城のひとつヘレンキムゼール城にきた。それはヴェルサイユを模した城で、有名な鏡の間が再現されていた。このシーンは息をのむほど実に美しい。ルキノ・ヴィスコンティの数ある傑作のなかの屈指の場面であろう。果てしない長い金色の廊下の端にエリザベスはいる。従者1人だけを連れ黒いドレスを着て。彼女が歩いてくる。廊下の両側の壁に嵌めこまれた鏡という鏡が、迷宮のように彼女の姿を交錯させる。ヴィスコンティはロミ・シュナイダーが沈黙のまま通りすぎる、それだけを映す。エリザベスはルートヴィッヒの内面が、もはや自分を映す自分しか見ようとしないこと、彼の存在は永遠にくりかえす鏡との対話にしかないことを見抜く。ルートヴィッヒもまたそれがわかっていた。彼はエリザベートとあうことを拒む。同情されたくない、とセリフはなっている。わかりやすくいうなら統治者として不能の烙印を押された自分の現実をみせたくなかったのである▼ドイツ3部作のうちもっとも完成度が高いのは「ベニスに死す」だとよくいわれるが、ヴィスコンティの豊饒を示す最高の映画は「ルートヴィッヒ」だ。ルートヴィッヒが体現したイノセントの悲劇、純粋がそのなかに内包している悪という二律背反は、どうしてもとりあげずにはおれないテーマとして、ヴィスコンティの生涯の最期に再び姿を現す。

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