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映画監督特集

2012年7月8日

特集 ルキノ・ヴィスコンティ イノセント (1976年 恋愛映画)

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監督 ルキノ・ヴィスコンティ
出演 ジャンカルロ・ジャンニーニ/ラウラ・アントネッリ/ジェニファー・オニール

挽 歌

 ラストシーンはやっぱり死体なのですね。「ベニスに死す」「ルートヴィヒ」「家族の肖像」そして「イノセント」。「地獄に堕ちた勇者ども」もラスト近くで、結婚式をあげたばかりの2人が自殺していました。主要人物を死なさずにはおかないのがヴィスコンティですね▼「イノセント」の主人公トゥリオ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)は、自殺するのもこれでは無理ないと思えるくらいダメ男なのだ。トゥリオのセリフを聞いていると胸が悪くなる。自分が浮気をするのは自由、人から嫉妬されるのは快感だが嫉妬させられるのはイヤ、妻は「妹のごとく」愛しており、自分が困ったときは支えとなってくれと調子のいいことを当然として要求。でもその妻に愛人ができると嫉妬に狂う。あまつさえ愛人との間にできた子供を殺してしまう。剥いて言えば所詮不倫騒動でしかないとしても、その結果のまあ暗いこと▼ヴィスコンティはこんな徹底的にいやな男をなぜ主人公にしたのだろう。確かに世紀末のブルジョア社会とはこういう人間の腐敗現象が普通だったのかもしれない。飽食した貴族の傲慢、男のエゴイズム。それにしても「イノセント」はそれまでのヴィスコンティ映画とかけ離れている。「山猫」のサリーナ公爵にしても「地獄に堕ちた勇者ども」のグスタフ・フォン・アッシェンバッハにしても、国王「ルートヴィヒ」にしても、「ベニスに死す」の作曲家にしても、「家族の肖像」の孤独な教授にしても、彼らの知性や教養や学識や、時代をみる見識にはヴィスコンティ自身が投影されていた。トゥリオには皆無だ。なにひとつ共鳴できない男をなぜつくったのか。原作はダヌンチオの「罪なき人」だ。過去のヴィスコンティ映画との共通点はたったひとつ、主人公が「死体」でエンドになることだ▼1973年の初め、ヴィスコンティはハロルド・ピンターの「昔の日々」の舞台を上演した。登場人物は男が1人、女が2人。たった3人が出演し男女の心理の機微と分裂を描いたものだ。「地獄に堕ちた勇者ども」や「ルートヴィヒ」という大作のあと「家族の肖像」や「イノセント」のこぶりな作品に移った理由は、明らかに大病後の体力の衰えがあったとしても、身近に迫った死と生の交錯する虚無や、現実というとらえどころのない世界をつかまえるには「過去」とか「回想」とか「死」というフレームを必要としたのだと思える。司馬遼太郎が歴史小説を書くのは登場人物がみな死んでいるからだと言った理由と似ている。この時期ヴィスコンティの関心を強くとらえていたのは「失われた時を求めて」だった。死体はそれだけで見事な過去であり完結であり、ヴィスコンティは物語を死体にして、初めてじっくり自分なりのテーマに料理できたのだ▼それにしてもこのトゥリオという「罪なき者」にここまで入れ込むか。ヴィスコンティはなにが楽しくてこんな男を映画にしたのだろう。ヴィスコンティの右腕であり、生涯に書いた100本の脚本のうち、ヴィスコンティとの仕事が「べリッシマ」(1951)以来「イノセント」まで12本に至った脚本家、スーゾ・チェッキ・ダミーコによれば、ルキノは「ダヌンチオが好きではなかったが、けっこう楽しんで仕事に没頭していた」という。ヴィスコンティの優雅洗練された趣味と俗物丸出しの主人公とは全然ちがうと思うのだけど、どこを楽しんでいたのだろう。ヴィスコンティなんて自分がいやなことをする必要のある人ではないのである▼「イノセント」は映画セットの極地といえる映像の重厚さはあるが、ヴィスコンティの圧倒するような、重戦車みたいな、怒涛のような体感はこの映画にはなかった。あるのは小宇宙のような美しい完成度だ。人生の終着地点にきてヴィスコンティは思った…どうにもこうにも、手におえないことで人生は満たされている。あるだけの力で挑んだが、まだまだできていないことのほうが多い。それがデカダンスと退廃の地熱だ。トゥリオもまた彼の、あるだけの力で、あれはあれで滑稽かもしれないが大真面目だったのだ。あんな男と関わることは災難だ。それが避けられないところに人生の非情さはある。「イノセント」ではしかし、ヒロインのようにたとえ憎悪によってでも生きるべき人間は生きることを選び、男を棄てることによって生き延びる女は迷いなく男を棄てているだろ。トゥリオは、あれはもう死なせなくちゃおさまらんよ。死体ひとつでオレは映画のなかの女たちの救うべき人生を救ったつもりだ。この映画はなんだって? 挽歌だよ。オレの生涯の、なんてケチなことはいわない。いつかすべての存在にくる挽歌だ。そう思ってみてくれたら、この映画のクセのない美しさに合点してもらえると思う。ルートヴィヒや、アッシェンバッハのドイツ3部作が交響曲としたら、これはオレの大好きなヴィヴァルディの室内楽だ…▼最後に、主演のジャンカルロ・ジャンニーニ。彼は「流されて」でブレイクしました。女主人に使えていた召使が無人島に流れ着き、サバイバルのスキルを発揮して主格転倒。「オレをご主人さまと呼べ」と暴君に変貌するあの役ね。トゥリオの妻にラウラ・アントネッリ。ヴィスコンティは「彼女はヴィーナスの体をしている」と言ったそうです。ジェニファー・オニールは「イノセント」の2年前「おもいでの夏」で颯爽、ハリウッドの注目を集めました。よくヴィスコンティは難解だといわれますが、そんなことはありません。彼は意外と率直に中心思想をセリフにしています。「イノセント」でも例外ではなく、トゥリオの弟が登場しますが、彼の役どころはヴィスコンティの良心です。こんなセリフを言わせています。「僕たちは一応教育も受けたし、世間も見たほうだ。いろいろな趣味もあるし金もなくはないが、それが何だ?」ヴィスコンティのペシミズムが端的でしょ。

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