女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

シネマ365日

2012年7月10日

ラムの大通り (1971年 恋愛映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ロベール・アンリコ
出演 ブリジッド・バルドー/リノ・バンチュラ

双眸の光 

 アメリカの禁酒法時代の1920年代、カリブ海のジャマイカからニューオリンズへのラム酒密売ルートがあった。人呼んで「ラムの大通り」。アンリコらしいノスタルジアがすでにタイトルから感じ取れる。41年前に製作された「ラムの大通り」には、今から思えば興味深いできごとがいくつもある▼ひとつは主演女優BBがアンリコと組んだこと。ブリジッド・バルドーはわがままの見本のような女優だったが、彼女のわがままは野生動物がわがままであるのといっしょで、意図的に人を傷つけようというものではなく、むしろ人嫌いの結果わがままにみえる、そんな類だったと思える。「ラムの大通り」の前作が「パリは気まぐれ」だった。バルドーのマネージャーは断固引き受けるべきだとすすめ(彼女もBBがきまぐれなことはよく知っていた)まして共演はアニー・ジラルド、よし、とばかりバルドーもOKしたが、撮影の進行につれ監督の演出力に不満が生じ、現場はにっちもさっちも動かなくなった。監督交代となり救いの手をさしのべたクロード・シャブロルが、船長不在で混乱している船をひっぱり完成にこぎつけた▼バルドーが「パリはきまぐれ」のジグザグにうんざりしているときに「ラムの大通り」は持ち込まれた。現状の駄作に比べて魅力的な提案だった。アンリコ監督は「とても感じのいい人」で、バルドーは抵抗なくいっしょに仕事をする気になった。内容はマンガみたいな物語で、バルドー扮するハリウッド女優リンダはチャーミングないたずら娘といったあんばいだ。歌まで歌う。バルドーは喜んで契約書にサインする。結果は自分の生涯における成功作のリストに加えられると満足気である▼共演はリノ・バンチュラだった。いうまでもないがアンリコとリノは「冒険者たち」という稀代の名作を撮っている。バルドーのリノ評はこうだ「彼はどこかジャン・ギャバンを思わせるところがあり、なかなか親しくなれなかった。孤高の人リノは人付き合いを嫌っているようで、撮影が終わるといつも不安そうな様子で自分の殻に閉じこもり、さよならともいわず姿を消した(略)。たった一人で席につきメニューからよさそうな料理を探しだそうと熱中している彼にあうことがあった。こうして美味の探求を通じて、わたしはいつも失敗ばかりしている美食家に少し近づくことができた」BBの自伝にそうある。リノ・バンチュラの一面がいきいき伝わる文章だ▼やがてバルドーはリノという、とっつきは悪いが根が傷つきやすい「愛すべき熊」をてなずけてしまう。リノは変人で、契約書には「ラブシーンはしない」「どの共演者ともキスシーンはしない」と明記されていたとおかしそうに書いている。バルドーとしては珍しいことに、リノとアンリコとの三角ゾーンでなにも起こらなかった。起こりようのない清らかな友情だったにちがいない。というのは「リノの大通り」は覗き見趣味のシーンを観客におしつけなくても、愛と冒険の映画はできる証拠だと、バルドーはアンリコとリノという「三人組」でつくった「ラムの大通り」に胸を張っている。自分の主演作でさえ気にいらなければけなすバルドーを思えば、これはかなりの及第点だったにちがいない。ついでに「ここまで言ったからにはハッキリさせよう」と、BBは引退の意思を明らかにする「覗き見趣味のキャメラを前にして、キスをして口以外のものを吸ったりしながら、裸でどのように脚を広げられるかといったことで俳優の才能が計られるようになりはじめたときに、映画界を離れることができてわたしは喜んでいるのである。わたしはセックスシンボルではあったが、心の底ではその種の演技とは両立しない羞恥心がある。あのように人間の肉体をさらけだすことには吐き気がする。暗示するのはいい。想像をめぐらせることは実際にみるよりもずっと刺激的なのだから」堂々たる所信表明だろう▼ラストシーン。スクリーンで再び会えたリンダの歌を聴きながらリノは涙を流す。せつなさがおしよせるのは恋の終わりの懐かしさからか。そうかもしれない。しかしもうひとつある。「ラムの大通り」はBBがまともに撮った最後の映画なのだ。この3年後「スカートめくりのコリノのとても素敵なとても楽しい物語」を残してBBは引退する。クローズアップされたBBの目尻にはすでにこまかいしわが生じている。そのくせ双眸はますます野生の猫のような残忍にさえみえる光を、存分に生きるために自分を解き放ったせつないような無垢な光を、たたえているのだ。

Pocket
LINEで送る