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シネマ365日

2012年7月28日

ハロルドとモード 少年は虹を渡る (1971年 純愛映画)

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監督 ハル・アシュビー
出演 ルース・ゴードン/バッド・コート/ビビアン・ピックレス

アシュビー監督のウィンク

 2010年、アメリカンニューシネマの傑作を公開するプロジェクト「70年代アメリカ映画の伝説」として公開された「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」は2011年待望のDVD化された。19歳の少年と80歳の女性が結婚する、ベッドをともにするという、まちがったらゲテモノ・キワモノになる内容(当時やはり冷笑と批判が浴びせられた)を、ハル・アシュビーが生真面目に扱い、クリスティの「アクロイド」のように、同じ結果は2度と踏襲できないであろう、ニューシネマの傑作にした。ハル・アシュビーとは「冬のカモメ」「シャンプー」「帰郷」などがあり、ベトナム帰還兵たちの虚しさと反戦を描いた「帰郷」でアカデミー監督賞にノミネートされた▼ファーストシーンがいい。暗い長い格式のある階段(これだけで豪邸だとわかる)を降りてくる足音の静かな長い脚。空間にのばされた手の白い指は、ヴァイオリニストのように細く長く繊細で指輪がよく似合う。長身の青年(少年というべきか)は、富豪の1人息子ハロルド(バッド・コート)だ。応接間で首を吊っている息子をみて、夫人は「いいかげんにしてちょうだい。お客様がおみえよ」あわてもせず部屋を出ていく。結婚相談所がハロルドと相性のいい女性をコンピューターではじきだし、そのデートの相手が来宅したのだ▼息子は自殺が趣味である。事故でハロルドが死んだと思い込んだ母親が気を失った。それをものかげから瞥見したハロルドは、死ぬっていうのは気分がいいものだと感得し自殺フェチになる。精神分析医も彼を診るが、現状に対して本人にひとつも痛痒がないのだから打つ手がない。焼身自殺、手首を斧で落とす、血まみれの刺殺死体という手の込んだ自殺シーンを演じ、デートの相手をことごとく追い返し、マイカーには霊柩車を購入する▼ハロルドは葬式の席で80歳のモード(ルース・ゴードン)と知り合う。彼女は廃棄された列車に住む。そこを訪問したハロルドはモードがヌードモデルをしていることに興味を持つ。人の車は無断借用、枯れかけている街路樹は勝手に植え変える、おいかけてきたパトカーは暴走運転でまく、破天荒というか天衣無縫というか、モードの行動力にハロルドはド肝を抜かれるが、腕に彫られた入れ墨の数字をみて、モードにナチ強制収容所の過酷な体験があることを知る▼カーニバルの夜ハロルドは「好きだよ、モード」と告白し抱き寄せる。このへんはちょっとメルへンティックすぎるが、まあいいだろう。車両にもどりピアノを弾き、ワルツを踊り、バンジョーを奏でてベッドに行く。翌日ハロルドは結婚すると母親に宣言。相手がだれであるかを知った母親、牧師、叔父、すべての関係者はあいた口がふさがらない。われに返り猛反対の口火をきる。意気揚々モードに報告に来たハロルドに「ちょうどよかった。あすわたしは80歳になるの。さっき錠剤を飲んだから、夜中の12時過ぎには効いてくるわ」手当に奔走するハロルドに、人を愛する歓びを残してモードは死ぬ。ハロルドは霊柩車を断崖から墜落させ、モードのバンジョーを弾き、生きることを誓う▼ハロルドはさながら、想念と感性の世界で自己イメージを肥大させてきた大きなさなぎだ。ぬくぬくとくるまり、そこからひっぱりだそうとするものを拒む。ガンとして受け付けないところは、天の岩戸に閉じこもったアマテラスのこどもバージョンとでもいおうか。こよなく純粋なのだが純粋だけで人は生きていけない。世間の毒を浴びせかけられながら俗化しなかったモードのような分身が要る。しかしそんな因果関係など、この映画をみるには邪魔になるばかりだ。ハル・アシュビー監督は、人が人を好きになることにどんな制約もセオリーも規則も常識もない、無理に平凡化することも特別化することも不要な交歓の世界を、世にも変わった自殺願望の少年と、収容所の地獄を生き延びた80歳の女性の世界観を照合させて成功した▼どこかで首をひねりながらもひきこまれていくのは「アリスの不思議な国」と同じである。ハロルドとモードという「不思議の国」の住人に手がつけられない、現実社会と常識を代表する母親が面白い。息子を正気にかえらせるのに精神科医は役にたたない、あとは女しかないと婚活に邁進する。彼女の判断の正当性は疑うべくもないのだが、彼女の弾がことごとく逸れていく、魔法のマントをまとった種類の人間がいることを、ハル・アシュビー監督はウィンクしながら教えている。

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