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特集「ディーバ(大女優)」

2012年8月9日

特集 ディーバ(大女優)3 マレーネ・ディートリッヒ 「今宵あなたと」(1972年 ロンドン公演)

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眠れ ディートリッヒ 

 1972年ニュー・ロンドン劇場での公演である。ディートリッヒは71歳だった。ここで歌う「バラ色の人生」はもちろんエディット・ピアフの歌だ。ディートリッヒはフランスのふたりの友人、ピアフとコクトーからステージキャリアを豊かにするものを学び取っていた。ピアフからはステージでのジェスチャーを節約するすべを、コクトーからは大きなステージで劇的効果を発揮する誇張術を▼ディートリッヒは長年悩まされた不正出血によるガンの治療のほかにも、不安要素があった。下部大動脈の閉塞による絶え間ない脚と腰の痛み。関節炎。衰えつつある視力。痛みを抑えるため鎮痛剤をスコッチかシャンパンで流し込んで舞台に立っていた。公演後の謝辞は呂律がまわらなかったこともしばしばで、そんなときはドイツ語なまりの強い英語になった。だからディートリッヒは末期症状を呈し元気がなかったかというと、それがどうもそうではなかったらしいのである。ロンドン公演よりちょっと前、なんにせよ60代のことであるが、マイケル・ワイルディング(エリザベス・テイラーと離婚していた)との情事で、母はダブルベッドを壊したとマリアは打ち明けている▼この公演でディートリッヒは常にひとり、スポットライトの中央に一本の剣のように立ち、きらめく宝石を身につけ、まぶたの垂れた眠たそうな目で歌うのだ。無愛想に、ときどき不敵にニヤリとする。ステージから話しかけるトークは独り言にちかい。だれか聞いていてもいなくてもどっちでもいいというふうに聞こえる。ディートリッヒの声は音域が狭かった。それを広くする薬があると聞き、大量に注文してキャンデーでも食べるように口にいれ家族は仰天した。彼女には医学に対するこういう独特の知識があり、それをだれにでも応用したがるので、ディートリッヒが家にいるときは決して病気になるまい、というのが一家全員の努力目標だったそうだ▼ディートリッヒの身辺に親しい人の、あるいはスクリーンの巨像というべき人たちの死が相次いだ。クラーク・ゲーブル、ゲーリー・クーパー、ヘミングウェイ、エリッヒ・マリア・レマルク、ジュディ・ガーランド、そしてジョセフ・フォン・スタンバーグ。マレーネ・ディートリッヒにもたそがれが近づいていた。マクシミリアン・シェルが監督したドキュメント「マレーネ」でディートリッヒはインタビューに答え、自分が出演した映画のどれも「取るに足りない」ときっぱり断言している。その通りくだらない映画にいっぱい出た。自己愛の亡者であったかもしれないが、自分に対する厳しく正確な客観的判断力はぜんぜん曇らなかった▼ディートリッヒには懐かしむ、惜別するべき過去がなかったのではないか。そう考えたとき彼女の不屈のエネルギーの秘密がわかるような気がする。ロンドン公演の翌年1973年の11月、ワシントンの公演で、3度目のアンコールに応えたディートリッヒは、深く腰を折ってお辞儀する、あのスタイルで真っ逆さまにオーケストラボックスに転げ落ちた。大腿骨骨折。すぐ手術になった。ここに至るまで、医師や家族の要請をなぜディートリッヒは無視し続けてきたのか。マリアによれば「老いていく体を、しまりのなくなった腿をあらゆる方法で隠し、垂れ下がった乳房をボディスーツに押し込んで、ディートリッヒはそんな女だと世界が期待するヴィーナスをたえず形成しつづけてきた。それが裸のまま手術台に横たわろうとしている、伝説が正体をさらけだそうとしているのだ」▼とはいえ入院加療は劇的な効果をもたらし、アルコール依存症の治療まで兼ねた。ディートリッヒはおだやかになり「ありがとう」という言葉が「母の口から聞かれた」。しかしめでたく退院して自宅にもどったとたんあっという間にスコッチのボトルの栓をあけ、おなじみの道をたどった。のち数々の肉体的苦痛がディートリッヒを襲う。腰の骨の骨折。アルコール依存症はますます高じ、楽屋でもシラフではおれなかった。契約はつぎつぎキャンセルされた。手術につぐ手術で弱った足腰。くりかえされる転倒。1979年ディートリッヒは寝室で気を失いそれから立てなかった。関節にひびが入っていることがわかったが入院も手術も拒否し、パリのアパートメントに自分だけの世界をつくった▼美しかった脚は筋肉を失って萎縮した。ディートリッヒは目を覚まし、スコッチを飲み、相変わらず毒舌をふるって記憶にある著名人をボロクソにいい、うつらうつらする。髪は自分でハサミを使い手当たり次第切ってしまったのでバラバラだ。ぜんぶ自分の歯であると自慢だった歯は、ところどころ欠けて黒ずんでいた。体に触られるのが嫌いで、だれにも拭かせない。部屋には悪臭がただよった。マリアにはその状況がこう映った「他人の心のなかで不滅であるなど、いささかも母の心を動かさない。家族とも本当の友達とも縁をきることで、母は自分だけの地獄に独り直面する」▼ディートリッヒの墓は故郷ベルリンのシェーネベルク、フリーデナウ墓地に母親の墓と隣り合い、ドイツスズランに囲まれて並んでいる。墓碑銘は「人生の思い出が刻まれる場所、わたしはここに眠る」過去を振り返ったことのないディートリッヒに思い出ははたして甘美なのだろうか。ディートリッヒはときとしてためいきをもらし、ためいきには深い悔恨がまじっていた。このマリアの回想のほうがディートリッヒの心のなかをよく現しているような気がする。スタッフが辟易した彼女の口癖を思い出したい「監督、私まだやれるのですけど。もう一回やれば、もっとうまくできると思うのですけど」…それがディートリッヒだった。悔恨には何が混じっていたのか。なされた情事の数々か。報われず裏切られた思いか。果たせなかった愛情か。ちがうと思う。自分にかかわるすべてを支配してきた彼女の視線は、支配するにもしきれない断ち切られた未来に向けられていた。そこにはなにも見えない深い絶望と虚無の未来。それを見てしまった女のためいきくらい、もうそれで充分ではないか。マッチの軸のように衰えた脚もしなびた乳房も、黒くなった歯も悪臭を放つ体も、それでいいのだ。なにもかもみごとに使い果たしたのだから。いまはただ、眠れ、ディートリッヒ。

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