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特集「ディーバ(大女優)」

2012年9月4日

特集 ディーバ(大女優) オードリー・ヘプバーン 
昼下がりの情事(1957年 コメディ映画)

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監督 ビリー・ワイルダー

出演 オードリー・ヘプバーン/ゲーリー・クーパー

レディ・ピーターパン

監督も俳優もよかったが、いちばんのヒットの要因はタイトルだと思う。「情事」という言葉がかもす危険で淫靡で黒い情熱。抑圧したい秘め事が欲望をかきたてる。太陽の下のオープンかつ健やかな恋は「情事」の前にはおめでたくさえ響く。いい年した大人がいつまでも青春映画をやっておれない。そういう年代が「情事」のミステリアスにはまる…と思っていたらなんじゃ、この映画は。大人どころか子供みたいなオードリー・ヘプバーンが思い切り背伸びしてゲーリー・クーパーと「情事」するのだって…と思っていたらいやー、子供扱いしたのはとんでもない間違いだった、果たしてこれは文字通り「情事」ですよね…とまあ見る角度によっていろんな隠し味が現れる、そこがビリー・ワイルダーという監督だからでしょうね。しつこいようだけど「情事」のような暗い語感がワイルダーは気にいっていたのだと思う。アガサ・クリスティの「検察側の証人」を「情婦」としたようにね。ヒロインを演じたマレーネ・ディートリッヒには悪が似合うとワイルダーは言っていました。オードリーに悪は似合ったのでしょうか▼似合うはずないだろ、と思うかもしれませんがワイルダーの扱いはちょっと違う。劇中プレーボーイのフラナガン(ゲーリー・クーパー)の私設カルテット楽団が「魅惑のワルツ」に演奏を切り替えるのは、フラナガンの情事の始まりなんですね。オードリー扮するアリアーヌが訪問したときもふたりはいい雰囲気になり、頃を見計らって楽団は「魅惑のワルツ」を奏でる。するとシーンは閉じられたホテルのドアが意味深長に映され、楽団のメンバー4人が退室してくる、キャメラが部屋に入るとクーパーが背広を脱いだ姿で窓の外をみている。背中がゆったりしている。オードリーはバスルームで髪を梳かしている。情事のあとに決まっているじゃないですか。ワイルダーはオードリーの、良識と健康からはみだした部分が見えていたに違いない。よき家庭人であり妻であり仕事熱心で誠実な女優であるが、彼女の性格の強靭さはこういわれていた「鉄の手にベルベッドの手袋をはめている」。こんな女優を少女マンガみたいな役だけにおさめておいてはたして映画は面白くなるか。もっとも映画会社が女優を売るイメージというのがあるから、露出過剰のベッドシーンや強姦シーンはやらされないが、カラシも利かさず隠し味も作らず、撮りたいものも撮らず指をくわえてひっこむワイルダーではなかったのだ▼ベティ・デイビスとリズ・テイラーとオードリー・ヘプバーンがいて、そのうちあなたがなりたい女性をひとり選んでよいといわれたらだれにしますか。いずれも功なり名遂げサクセスと栄光で映画史を飾る大女優たちである。その持ち味も演技力も余人の追随を許さない。しかし立派にして偉大な業績を認めることと「なりたい」という甘い憧れは似て非なるものがある。ベティ・デイビスの業火のようなファイト。リズの体がいくつあっても足りない結婚フェチ。大女優とは一般論の埒外にあることは理解できるとしても、こういうモンスター級の女優は「なりたい」とうっとりする存在だろうか。名声とひきかえにデイビスやリズが背負ったトラブルや病気や困難な役を思うと、いかにデイビスの演技力やリズの美貌が有史以来であるとしても「なりたい」にはビビる。しかしオードリーはどうだろう▼2004年日経リサーチのタレント・キャラクターイメージ調査「好意度ランキング1位」。2006年日本テレビ「日本人が選ぶ100人の美女」1位。2010年アメリカの大手通販のアンケート「20世紀最高の美女」1位。われもわれもとオードリーになびく。彼女は容貌がどうとかこうとか、演技がああだこうだという対象ではなく、清楚とかエレガンスとか、ユーモアのある知性とか、美しい瞳とか、女性がそれを備えていたら人生が楽しくなる、こころやさしくなれる、幸福感に満たされると思えるなにか、女性に至福感をもたらすなにかをオードリーは放っているのである▼「昼下がりの情事」はそんなオードリーのキャラ満開だ。ワイルダーがうまいのは、オードリーの引き立て役として父親にモーリス・シュバリエ、情人にゲーリー・クーパーと、文字通り父親ほどの年齢の役者を配し、オードリーのユニ・セックスを際立たせたことだ。世間の女性はおどろおどろしい愛欲世界が好きだと広言することはためらっても、成熟する義務から開放された、少年のような女性を好もしいというのに差し支えなかった。ほどなくオードリーは妖精と呼ばれ始める。妻となっても母となっても離婚しても再婚しても「妖精」とは、早い話「もののけ」ではないか。そうなのだ。大女優が等しく備える怪物性は、オードリーの場合セクシーさでも肉弾相撃つ欲望の対象でもなかった。「もののけ」のような「レディ・ピーターパン」こそ、オードリーをディーバたらしめた最高の素質だった。

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