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特集「ディーバ(大女優)」

2012年9月5日

特集 ディーバ(大女優) オードリー・ヘプバーン 
尼僧物語(1959年 社会派映画)

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監督 フレッド・ジンネマン

出演 オードリー・ヘプバーン/ピーター・フィンチ

尼僧物語への復帰

この映画のテレビ放映がなかなかされなかったのは、オードリー・ヘプバーンの尼僧姿が美しく、われも、われも、と尼僧になられたら大打撃を受ける美容・服飾業界がテレビ局に手を回したのだと、まことしやかに流れたことがある。尼僧姿で始終うつむき、笑顔もなく流行のファッションもまとわないヘプバーンだったが「尼僧物語」は大ヒットした。正統派というのはわかるようでわからない評価だが、監督フレッド・ジンネマンの、正面からぐいぐい押して妥協しない、というやりかたがそれに当てはまるとしたら、「尼僧物語」はまさに正統派・正攻法の堂々たる演出だろう。面白いかときかれたら首をひねるのだが、いい映画かときかれたら文句なく「ハイ」だ。しかも「面白い」とか「面白くない」でぐちゃぐちゃいうのが失礼なほど折り目正しい映画なのであり、その折り目正しさの8割くらいをヘプバーンが体現している▼1988年だから「尼僧物語」のざっと30年後だ。ヘプバーンはユニセフの親善大使として、予防接種と飲料水のプログラムを推進するため4年間128カ国を訪問した。最後の訪問地はソマリアだった。子供たちが死んでいくのはほとんどが栄養失調だった。同時にヘプバーンはそこで食べ物が癒してくれない飢えを見る。だれも言葉をかけず、だれも抱き上げてくれず、だれも微笑んでくれない子供たちの顔は無表情で荒廃していた。息子ショーンの手記によると、ヘプバーンのスケジュールはハードだった。航空運賃は寄付でまかなわれていたので、安くあげるため何度も乗り換え、移動時間は長くなった。1回の旅から帰ると時差ボケと疲労を取るため2、3週間休み、また遠征に出ることを年に数回繰り返した。ヘプバーンは地獄の現場証人として声を発していく。ヘプバーンがアメリカ下院でスピーチした後、その年の予算で6000万ドルが増額されたことがある▼ヘプバーンが国連加盟国に、GNPの1%を途上国開発基金に当てようと呼びかけた声明文がある。「今後10年間に最悪の貧困状態を根絶し、人が生きるために最低限のものを整えるための財源は、今日の世界経済の0・5%で以下で足りると知ると、わたしたちはもっと頑張るべきだと思います。言葉をかえれば欠けているのは人的資源ではなく人の意志なのです」「現在失明の危機にある子供たちを救うために、わたしやユニセフで働くボランティアたちは寄付を集めに回っています(略)。わたしは昔からユニセフを知っていました。およそ45年前、戦場となったヨーロッパで飢餓に苦しんだ何百、何千の子供たちのひとりだったわたしは、オランダが解放された直後にユニセフの支援を受けました。わたしたちは今の開発途上国にある世界と似たような貧窮状態にありました。貧困こそ苦しみの元凶です。貧困とは持たざること、生きていく手段を持たないことです」つい長くなってしまったが「尼僧物語」のコンゴでのガブリエル(A・ヘプバーン)の献身をみていると、どうしても30年後のヘプバーンの活動が「尼僧物語」への精神の復帰のようにダブってくる▼高名な医師の娘であるガブリエルは、修道院に入り優秀な修道女となる。念願だったコンゴに派遣され、現地で医療にあたる外科医、フォルチュナティ博士の助手となる。無神論の博士はことあるごとにガブリエルの信仰をからかうが、昼夜を問わぬガブリエルの仕事に感服し、彼女が結核に感染したと知るや、つききりで治療にあたり、回復させる。ガブリエルはハンセン氏病の治療にあたる医師が自らも感染しながら現場を離れず、住民の医療に専念するのを見る。現在只今の困窮を救う技術と伝達こそ人間が必要としていることではないか、祈るだけでいいのか、修道女としての自分に疑問が深まる。戦争の侵攻によって、けが人の手当をしようとした父が、路上の機銃掃射によって射殺された。ガブリエルはいまや迷いなく、弟たちが組織するレジスタンスに加わり、看護師として戦いに参加することを決め修道院を去る…ヘプバーンがりりしいですね。密林の聖者がシュバイツアー博士ならこの映画の彼女は「密林の聖女」か。神々しいまでの存在なのです。ふざけた批判なんか神の怒りにふれますぞ。

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