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特集「ディーバ(大女優)」

2012年9月10日

特集 ディーバ(大女優) オードリー・ヘプバーン 
ロビンとマリアン (1976年 恋愛映画)

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監督 リチャード・レスター

出演 オードリー・ヘプバーン/ショーン・コネリー

なぜこの映画に出た?

何度も繰り返し映画化され、もはや国民的叙事詩となった英雄譚はリチャード・レスター監督の得意分野だ。「三銃士」「四銃士」「新三銃士/華麗なる勇者の冒険」など、それに「スーパーマン冒険篇」「スーパーマン電子の要塞」を加えてもいい。「ロビンとマリアン」はもちろんシャーウッドの義賊ロビン・フッドのその後である。ここではロビン(ショーン・コネリー)もマリアン(オードリー・ヘプバーン)も40歳を過ぎた中年になっている。ロビンは獅子王リチャードに従い十字軍の遠征に出たが、王の死とともに故郷シャーウッドに帰った。腹心のリトル・ジョン(ニコル・ウィリアムソン)もいっしょだ。森は20年前と変わらず、森の仲間だった仕立屋のウィルや怪力のタック坊主がいた。代官(ロバート・ショー)とジョン王の悪政はそのままで農民は困窮を強いられている。マリアンは修道院にいた。ロビンは訪ねていく。別離の苦しさを絶え、やっと得た心の平安を破られマリアンは怒るが、ふたりとも恋しさにあふれ、仲間たちとともに再び森の生活に戻る▼ロビン森に帰る、の知らせに農民たちは改革を訴えロビンの元に集まる。森の木々の間で、兵士養成の特訓が始まる。マリアンも他の尼僧たちとともに服を緑色に染めたり(森の中で目立たなくする彼らの制服のようなもの)ウサギの皮を剥いだり忙しい▼レスター監督は緑したたる平地の向こうに、限りなく広がるシャーウッドの森、小川の流れ、馬やロバがいきかい屋台の並ぶ町の市場、石造りの代官の要塞、マリアンの住むわらと土の壁でできた粗末な修道院、ロビンやジョンが身にまとうゴワゴワした布の粗さ、そんな細かい大道具・小道具でロビン・フッドの時代の12世紀の風情をふんだんにもりこみ、叙情的な気持ちのいい映像を見せてくれる▼しかし、である。こと新しくもない「ロビン・フッド物語」になぜヘプバーンは出演したのだろう。これは事実上オードリーの引退映画である。「暗くなるまで待って」から9年。「華麗なる相続人」もあるし「オールウェイズ」もあるが、「華麗なる…」はなにを血迷ってこんな映画にでたのかと思う駄作だし、「オールウェイズ」はスピルバーグの懇請で天使の役というチョイ顔出し程度であった。まともにオードリーが女優らしい役を演じたのは本作で終わりだ。理由は「気に入ったから」と当時言っていたのを覚えている。ロビンが代官との死闘で勝ったものの重傷を負い、もはや息をひきとるのは時間の問題…それもあるがマリアンはもう二度とロビンに捨てられたくない、この男は生きている限り必ずまたなにかやるし、必要とあらばどこか遠くへいく、もう置いていかれるのはごめんである、さいわいこの傷では再起不能だ、殺してしまって自分のものにし、自分も死のう…「ロビンとマリアン」とは早い話「曽根崎心中」と同じ心中ものだ▼それのどこがオードリーは気にいったのだろう。子供のためだという説がある。6歳になっていた次男のために、そういう年頃の男の子がよく知っているヒーローのお話に出演した、そう「想い出のオードリー・ヘプバーン」にはあるのだが…しかしそれにしてはロビンとマリアンが、子供の共感を呼ぶには年配すぎるだろう。やっぱりこれは大人向けのメルヘンである。オードリーをその気にさせたのは、たぶんこのセリフだ。ラストに至るこのシーンはレスター監督の人間観がよく現れていて面白い。マリアンが毒入りワインを飲ませたとわかったロビンが「ジョン、毒を盛られた」と大声を上げて救いを求める。おや、と観客は思わなかっただろうか。毒を盛ったのはマリアンで、彼女もまたそれを飲んだとわかっているのに、ロビンはまたマリアンを「置き去り」にして自分だけ助かりたいのか。レスター監督はロビンの、というより男のエゴイズムをはっきり示す。マリアンに「なぜこんなことをした」とロビンが聞くに至っては、マリアンとロビンの愛の温度差があまりに歴然で、ちょっとマリアンがかわいそうになる。そこで、でもここでオードリーはバシッと決めるのである。「わからないの。あなたを愛しているからよ。子供たちより、この手で耕した畑より、朝のお祈りや心の平安より、食べ物より、輝く日の光より、快楽より、あるいは新しい1日より、神様よりあなたを愛しているの」これをいうときのオードリーの「語り」がいい。感情のこもった声がいい。役者の値打ちとは文字にも言葉でも現せないものを現すことだ。男と結婚で苦労し、ほんとならこのように男を愛したい、愛したかったという、これはほとんどオードリーの願望だったであろう。彼女は最初の離婚後10歳年下のイタリア人精神科医と再婚し、この映画の6年前に次男を出産していた。「暗くなるまで待って」から9年のブランクは、子育て専念中だった。前述の入魂のセリフは幸福な結婚の実感ゆえ、あるいはなにか暗い予感が再びあってのことだったか、いずれも根拠はない。でもロマンティックなオードリーが出演を決めたのは、あのセリフをいいたかったためと推量するのは、かなり素朴な線だと思える。

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