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特集「ディーバ(大女優)」

2012年9月11日

特集 ディーバ(大女優) オードリー・ヘプバーン 
想い出のオードリー・ヘプバーン(1993年 ドキュメンタリー映画)

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監督 ジーン・フェルドマン

出演 オードリー・ヘプバーン/ロジャー・ムーア

夢の豊かさ

オードリー・ヘプバーンの生誕80周年記念に製作されたドキュメントだ。彼女の想い出を語る顔ぶれは豪華だ。彼女の仕事がいかに第一線の実力者に恵まれていたかわかる。それというのも彼女が力のある、しかもいっしょに仕事しやすかった女優だからこそ、つぎつぎ次回作のオファーがあったのだ。あんな女とは金輪際ごめんだ、と思われたため、実力がありながら映画界を去った俳優は少なくないはずだ。このドキュメントで得難いのは、オードリー自身が自分を語っていることだ。彼女はよき家庭人であり母であり、仕事となれば正確無比、たった一度の遅刻もなく、病欠もなく(落馬はあったが)およそスキャンダルとは無縁だった。マスコミ嫌いでプライバシーを切り売りせず、子供との時間を最優先した。だからあまりオードリーの私生活や、直接の発言は知られていなかった。このドキュメントが製作されたのは、オードリーが国連の親善大使としてアフリカの窮状を訴えたかったことが理由だと思える。彼女は自分の影響力を知っていたし、自分にもっとも適切な正しい「出演作」を見出したのだ▼想い出を語るのはグレゴリー・ペック(「ローマの休日」で共演)、ビリー・ワイルダー(「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」の監督)、メル・ファーラー(元夫)、ショーン・ファーラー(実子)、スタンリー・ドーネン(「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」監督)、ジョージ・ペパード(「ティファニーで朝食を」共演)、ヘンリー・マンシーニ(「シャレード」「ティファニーで朝食を」作曲)、ユベール・ド・ジバンシイ(デザイナー)たち。そうそうたるメンバーだ。もちろんオードリーが物故したあとゆえ、いいことしか言っていないと取られるかもしれないが、その内容をきけば彼らがどこまで故人を理解し、共有した時間を大切にしていたか、普通の人間ならわかるものだ。ロジャー・ムーアは「オードリーはひとつも自分の話をする人ではなかった。しかし国連親善大使になってから、彼女は訴える必要を感じ始めた」とその動機の重さを証言している▼映画界という特殊な世界で、オードリーは常に控えめだった、というのが共通の見方としてある。オードリー自身は「演技の学校に行っていないから、わたしの演技はすべて本能的なものだった」が、ビリー・ワイルダーは「彼女は鏡に向かって稽古したわけではない、いつものびのびしていた。賞をとってもおごらなかった」。しかしさすがにワイルダーの指摘はヘプバーン礼賛には終わらない。こうも言っている「オードリーも年を取った。いい役が回ってこないのは知っていた。50歳を過ぎたらどうするかでみな行き詰る。特に元スターはどうするか。彼女は第三幕を選んだ」これがユニセフだった。ユニセフの話がもたらされたとき、オードリーは「自分に対する好奇心を、かわいそうな子供たちのために役立ててほしい」と率直に認めている▼オードリーはまれにみる聞き上手だった。人を笑わせるのが好きだった。決して人の悪口をいわなかった。噂話が嫌いだった。ある高名な俳優がオードリーのことをたいした女優ではないと言っているのを息子が知った。腹を立ててオードリーにそれを告げたら「あの人がそう思う理由があるのよ」で終わらせた。一言でいえば、人をレディにするものがオードリーにはあったのだ。ブレイク・エドワーズ監督は「オードリーはなんでも一生懸命だった。あんなにカメラに愛された女優はいない」。彼女の一生懸命について息子ショーンは「一度失った命だという思いは、母の生涯を通してあったと思う」。というのは生後数週間でひどい百日咳になり、呼吸がとまって死亡と判断されたことがある。しかしオードリーの母親は、祈るか抱くかさするかして、とにかく医者がだめだというものを蘇生させたのである。案外だれもふれていないが、オードリーとは強運の持ち主だ。そして人を喜ばせるのが上手だ。ジバンシーは初めて彼のアトリエを訪れたオードリーが、あまり少女のようなので、ほんとうに女優かと思った。ジバンシーが27歳。オードリーが25歳のときだ。ふたりの友情は終生続く。「わたしは演技を勉強していないから、衣装をまとうことで役に入っていけた」というオードリーが「あなたの衣装が私を守ってくれます」という言葉をジバンシーは忘れなかった。彼はオードリーの病状が悪化し、スイスの自宅で死にたいという彼女の希望を叶えるため病院から自宅まで、自家用ジェット機でオードリーを移送するのである。心の通う友人と一生長いつきあいができたというのも、オードリーの生涯の特色だろう。オードリーの瞳の美しさは女優のなかでもピカイチだが、その瞳こそオードリーのコンプレックスで「ほんとはとても目が小さいの」友人にそう言ったオードリーが翌日大きなサングラスをかけて現れ「ほらね」外してみせた。まあ目の大きさ云々というより、これは伝説的なオードリーの「瞳」をつくったメイクアップ担当のアルベルト・デ・ロッシのメイク術に軍配をあげるべきだろう。彼はていねいにマスカラを塗り、まつげを一本一本、安全ピンでとかしつけるやりかたで「オードリーの瞳」をつくった。彼が亡くなったとき「母は実の兄を亡くしたように泣きじゃくり、もう仕事をしたくないとまで言った」とショーンは振り返る。彼は母親の葬儀で最後に立ち、オードリーが好きだった詩を紹介している「魅力的な唇になるためにはやさしい言葉を話しなさい。愛しい日を持つためには人のよいところを探しなさい。おなかをすかせた人に食べ物を分け与えたら体はほっそりする。大きくなればきっと自分にもふたつの手があることを知るだろう。ひとつの手は自分を支えるため、もうひとつの手は誰かを助けるため。おまえの素晴らしき日々はこれから始まる。どうかたくさんの素晴らしき日々を味わえるように」このドキュメンタリーはオードリー・ヘプバーンという女優がわたしたちに残した夢の量だ。

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