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映画監督特集

2012年9月18日

特集 シャブロル「静謐な狂気」 
主婦マリーがしたこと(1988年 事実に基づく映画)

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監督 クロード・シャブロル

出演 イザベル・ユベール/ポール・フランソワ/マリー・トランティニャン

どこかで会ったことのあるマリー

イデオロギーとか時代背景とかへの理解は、映画をみるために是非とも必要なわけではないにしても「主婦マリーがしたこと」については、いくつか知っておくほうがシャブロルの意図がよくわかると思える。時代はナチ占領下のノルマンディー。フランスにおいてギロチンで最後に処刑された女性マリー(イザベル・ユペール)の実話だ▼ジョナス・メカスは「映画日記」で「大きいテーマとか小さいテーマとかいうことはありえない。大きな監督と小さい監督がいるだけだ」というシャブロルの言葉を引用し「この言葉に、小さい監督ほど大きいテーマを選びたがる、とつけ加えることができる」と記している。確かにシャブロルの映画世界は、ありふれた毎日が音もなく狂気にすべりこんでいく不気味な地すべりに集約される。「沈黙の館 ローフィールド館の惨劇」もそうだったが、犯罪を犯す本人は特になにかを逸脱したという意識はなく、まったく日常感覚なのだ。主婦マリーの平凡な家庭生活といえば、これほど小さなテーマはないのに、シャブロルは、繊細で薄く鋭利な、美しい象嵌をほどこした刃物のような映画にして、観客を黙らせる▼出征した夫の帰りを、子供二人と待つマリーは貧しい主婦だ。上の男の子は7歳、下の妹は4歳。編み物をしてわずかな収入の足しにしている。アパートの隣の奥さんの部屋に、貸していたコーヒーミールを返してくれと入っていったマリーは、返事がないので「お風呂なの?」といってバスを覗くと、小さなたらいに黄色のお湯を入れ、奥さんが全裸でしゃがんでいる。意表をつくシャブロルの導入だ。「妊娠したの」「そんなお湯に浸かっても子供は流れないわ」夫が戦争に行っているあいだに妊娠したから産むわけにいかない。マリーは違法である堕胎を手伝ってやる。奥さんは喜び、お例にマリーが欲しかった蓄音機を持ってきた。マリーの夢は歌手になることなのだ。マリーは大喜びでレコードをかけ、子供たちと歌ったり踊ったりする。そんなときのマリーは、貧しくても幸福にあふれている▼夫ポール(フランソワ・クリュゼ)が傷痍軍人として帰ってきたが、マリーの気持ちは冷えきっている。ふとしたことで知り合った娼婦のリュシー(マリー・トランティニャン)の商売用に部屋を貸してやる。望まない子を妊娠した女たちの堕胎をうけおい、お金にゆとりができたマリーは家政婦をやとい、ドイツ軍のスパイをしている若い男と深い関係になる。念願だった歌手の勉強をする。生活は華やかになっていく。しかし家に男をひきいれたマリーの情事を夫は目撃し、警察にマリーの堕胎行為を密告した▼逮捕されたマリーは国家裁判所の法廷で裁かれることになる。判決は死刑。「たかが堕胎で?」同房の女囚たちは憤る。占領下の道徳紊乱はフランスの不利を招くという国家の方針による判決だという。望まない妊娠で絶望感にうちひしがれている女たちを助けたこと、7年間に6人もの子供を産み、もはや子供を愛せないと、自分すら見失いかけている女を助けたこと、夫の汚れた下着を洗うだけの生活から脱出するためにお金がほしかったこと、きれいな服をきて子供たちにおいしいものを食べさせ、ちょっとした贅沢で豊かな気持ちになりたかったこと、それらのことが全員男性ばかりの裁判官によって裁かれる。マリーはあまりのなさけなさに何度となく涙を流すが、処刑の朝は涙も出ない。行き場のない憎悪を込め「クソ聖母」といって胸のクロスをひきちぎる▼シャブロルの魅力ってなんだろう。薄っぺらに聞こえるのを承知でいえば〈映画言語で語られた人生の真実〉としかいいようがない。イザベル・ユペールもいいし、マリー・トランティニャンもいい。歪んだしっくいの壁がはかなげにつづく貧しい家並み、薄汚く狭く、空気まで濁っているような室内。隣の部屋との壁は薄い板張りだ。たまに安酒場へ大好きな歌をうたいにいくマリー。きょうのおかずは豪勢ね、といってガチョウの肉をたべる夕食。占領軍への遠慮から、みせしめで女を死刑にする大臣や裁判官より女囚たちのほうがやさしかった。マリーの喜びに、絶望に、悲しみに、希望に、憎しみに、諦めに、観客は自分の感情を見出さずにはおれないだろう。

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