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映画監督特集

2012年9月19日

特集 シャブロル「静謐な狂気」 
ボヴァリー夫人(1991年 文芸映画)

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監督 クロード・シャブロル

出演 イザベル・ユペール/ジャン=フランソワ・バルメール/クリストフ・マラヴォワ/ジャン・ヤンヌ

わたしたちのエンマ・ボヴァリー

ロマン主義への復讐のような、フローベルの「ボヴァリー夫人」は、メロドラマ大嫌いのシャブロルにはぴったりだっただろう。「ボヴァリー夫人」をオファされたとき、はたして映画化が「正気の沙汰か、わからない」とシャブロルはしぶったが結局承諾した。理由は例によって「肉屋」を撮った動機が「人類史が集約されているような物語」だとして、クロマニヨン人を引き合いにだしたように「人文思想発達史に敬意を払うこと」だったと、よくわからない大げさなことを言っている。わかりやすく言い換えれば、フローベルが文学史上初めて創造した、ロマン主義が狂気であり破滅だったことを証明するヒロイン〈エンマ・ボヴァリー〉の映画化に、シャブロルの気質がしっくりきたことでしょうが▼映画はシャルル・ボヴァリー(ジャン=フランソワ・バルメール)の少年時代・青年時代をばっさり削除し、エンマと再婚するところから始まる。シャブロルの軽快な出だしだ。調子よさそうだ。事実この「ボヴァリー夫人」はフローベルでさえ、仕上がりには文句をつけなかっただろう。シャブロルは「ボヴァリー夫人」が、フローベルがロマン主義と袂を分かつために書いた小説だということを明晰に理解していた。それとシャブロル自身きわめて個人的な理由でフローベルが好きだった。彼の初体験は13歳だとどっかで書いたかもしれないが、そのとき年上の彼女の読んでいた本が「ボヴァリー夫人」だった。シャブロルは本作の映画化のとき61歳になっていたが、今でもはっきりそれを覚えていると語った。つまり13歳のとき以来、フローベルは彼の好きな作家になっていたのだ▼ということでノリがいい。エンマに扮するのはシャブロルのミューズ、イザベル・ユペール。シャルル役のバルメールがこれまた、妻が死んでも不倫していたことに気づかなかった善人の医師を演じて特筆ものである。エンマを最初に誘惑するロドルフのクリストフ・マラヴォワは、歯の浮くような美辞麗句を噴出させ、そのくせ洗練と教養にはほど遠い田舎の貴族を好演。彼に惹かれていけばいくほどエンマの愚かさと悲劇が観客に伝わる、計算しつくした筋運びだ。シャルルの善良さは、俗物根性丸出しの町の薬屋オメー(ジャン・ヤンヌ)との比較で、いやましに浮き彫りになる▼薬屋に下宿しているのが書記官のレオンで、彼がエンマの二番目の男だ。エンマを言葉巧みに借金地獄に誘い込みついには破産させるのが呉服商ルルー。容赦なく取り立てにくる債鬼に、エンマは金策のため男たちの家を走り回るが、金だと聞いた途端ご縁はこれまでとみな知らぬ顔をする。手のひらを返したように自分につきつけられた現実の姿にエンマは絶望する。あっちの男、こっちの男と、息をきらして訪問するエンマの地獄が、淡彩画のような淡い、繊細なスクリーンに展開する▼シャブロルは「手間ヒマをかけて、フローベルが叙述したままのイメージしか見せないことを心がけた。これはフローベルの小説を視覚化した映画だ」とインタビューにある。率直に受け止めてひとつも差し支えないと思う。たとえばこういうナレーションが入る(ナレーターはフランソワ・ペリエ)「結婚生活が慣れてくるにつれエンマの心は夫から離れていった。シャルルの会話は平坦そのもの。考え方はありきたりで何の感動もなく、笑いも夢も誘わなかった」「エンマはなにかを待っていた。毎朝起きると何かを期待し、物音がすると耳を澄ました。日が暮れると物思いに沈み明日を待った。エンマは刺繍も絵も音楽もやめた。本はすべて読みつくし火バサミを真っ赤にしたり、雨を眺めて過ごした」「エンマは不幸な運命を呪った。泥の中に落ちた数々の夢。自分が望んだことと拒んだこと。なぜすべてつかみそこねてしまったのか。とにかくエンマは不幸だった。ずっと不幸で求めるに値するものはなかった」▼エンマ・ボヴァリーの悲劇にもうつけ加えるものはないと思える。フローベルが、そしてシャブロルが目の前で明かしてみせた本当におそろしいものは、わたしたち万人の心のなかのどこかに、必ずエンマ・ボヴァリーが生きていることだ。

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