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映画監督特集

2012年10月14日

特集 「ミヒャエル・ハネケの幻影城」 
コード・アンノウン(2000年 社会派映画)

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監督 ミヒャエル・ハネケ

出演 ジュリエット・ビノシュ

未完の旅

ハネケが潔癖に自作のなかで排除してきたものに「わざとらしさ」がある。なにしろ人生で答えがわかることなどない、という立脚点で彼はモノをみていますから、解決なんかをわざとこしらえると真実を見逃す、それに解決はひとつとは限らない、だから答えは観客が自分で感じ、みつけてくれるのがいいというスタンスですね。とくに映画は映像によって目にみえる手段であらわさなければならない、ハネケにいわせると映像というのは非常にハンディのある手段で、目の前のものをありのまま映すだけだ、それに比べたら文学は比喩だの隠喩だの、手の込んだ作劇術で作者のイメージを展開できるじゃないか、映像でそれをやろうとするとどうしても「わざとらしく」なってしまう。もともと映像とは「わざとらしさ」の対極にあるリアルな手法なのだ、映像本来の在り方で物語を語ろうとしたら、一連のオレの映画みたいに、切り取った断片をつなぎあわせるとか、頻繁なシーン交代とか、なにかを訴えるための長回しになる…たぶんそう言いたいのだと思える▼「コード・アンノウン」に映されるのも、ひとつも「わざとらしく」なく、しかも登場人物たち自身が、どう解決していいかわからない状況設定ばかりだ。女優のアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)と報道カメラマンの恋人のジョルジュ、その弟ジャン。ジャンは田舎で酪農をやっている父親のあとを継ぐのがいやで、兄を頼ってパリにでてきた。物乞いの女性をバカにして黒人青年に注意を受け逆ギレ。警察沙汰になるが連行されたのは黒人青年だという人種差別。ジャンはパリで居場所がなく田舎に帰り、父親は喜ぶが武骨ゆえ息子を可愛がる気持ちが率直にだせない。粗末ではあるが男手ひとつで食事をつくってやり、なんと、ジャンを喜ばせたくてバイクを買ってやるのだ。ジャンは「ありがとう」の一言もなくホイホイ乗り回し、ある日「パパ、家を出ていきます。僕のことは探さないで」年取った親父に心配をかけたうえ金を使わせ、まだ飽きたらずメモ一枚でバイクに乗ってバイバイかよ▼カメラマンのジョルジュはコソボの紛争を報道するなか、資本主義の歪みが見えてくるがだからどうしたらいいか、ギャップのただしようがなく、恋人との間にもミゾを感じる。閉塞感をだいたままジョルジュは地下鉄の中の隠し撮りという形で対象にアプローチする。ジャンが侮辱したホームレスの女性は強制送還されるが、貧困の国で仕事はなく再びパリにもどる。ここにも解決はない。一方で人種差別を切り取ったかと思うと、他方では黒人少年の不良にとりかこまれたアンヌが、地下鉄で執拗ないやがらせを受け、いきなり顔にツバを吐きかけられる。みかねた移民っぽい男性が「恥を知れ、お前ら」と怒鳴ると「覚えていろ」すごんで下車する。これも現実のひとつであるというふうな「断片」である▼映画を見ての素朴な疑問だが、ここにあるすべての「コード・アンノウン」の断片は、それぞれが重いテーマを持つ、でもそれを寄せ集め「生きることに解決はない」と結論するのも変形した一種の解決であり、さらにいえば「解決したと思うのは幻想だ」と定義したところでだれが喜ぶの? 生々流転という仏教の概念になじんだ日本人からみれば、人生は解決できないさまざまな事象で構成される、ということから出発する。ミヒャエル・ハネケの映画にある戦争も別離も裏切りも理不尽も、コミュニケーションの不在も、理解し合えない夫婦や親と息子も娘も、それらは混沌という全体像をなし、解析を拒否するものとしてしかとらえられない。つらいけれどあるがまま、受け入れるしか方法のないことだってある。勇気も励ましも無力だと思うときがだれの人生にも一度や二度はあるものだ。だから「コード・アンノウン」という映画でスクリーンに提出された暗い現実とは、もともと人間がそれらの状況に対応するために、耐えることができるために、免疫の一種に変換すべきことどもではないのか。わたしたちは見たり聞いたりしたものだけを真実とは受け止めていない。見たり聞いたりした事実を、自分の思考と感性で組み立てなおしたものを真実として心の奥にしまう。真実とは心の内側からみた事実の逆照射だ。だから真実はそれが描かれるべきものとして、技法とメディアの違いはあるとしても芸術家の意欲を刺激し続けてきた。「コード・アンノウン」という映画もまた、真実へアプローチする技法のひとつにすぎない…彼の映画をみるかぎり、ハネケはそう言っているように聞こえる。「いくつかの旅の未完の物語」という副題は、ミヒャエル、ためいきのようにもらしたあなたの本音ですか。

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