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映画監督特集

2012年10月15日

特集 「ミヒャエル・ハネケの幻影城」 
ピアニスト(2002年 社会派映画)

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監督 ミヒャエル・ハネケ

出演 イザベル・ユペール/ブノワ・マジメル/アニー・ジラルド

一瞬の正気 

考えこんでしまうな。だれでも自分の中に幾分のサド・マゾ両方は含んでいると思うが、ヒロインのエリカ(イザベル・ユペール)に「そこまでやるか」というのと「そこまでいくの、無理ないな」といいたくなるのと、どっちもある。エリカはコンサート・ピアニストめざして母親(アニー・ジラルド)の猛特訓を子供のころから受け、現在国立音楽院のピアノ教授。シューベルトとシューマンの演奏なら右に出るものはないという自負がある。困ったのは中年になった今も、母親の束縛と過干渉がやまないことだ。帰宅時間から着るものまで文句をつけ、エリカも「うるさい。くそババア」と言い返すときがある▼アニー・ジラルドが娘に寄りかかる老いた母、溺愛するいっぽう容赦ない独占欲で娘をしばる、妖怪のようなおふくろさんを、イザベル・ユペールがそれを受け、この年まで独身でいるのはだれのせいか「お母さん、あなたが逃がしてくれないからよ」という怨念と(そのくせどこかで母親とふたりの世界に安住しているのだが)、自分の性の方向性が歪んだのも「ふん、仕方ないじゃないの」という開き直りをみせるピアノの名手という、カッコいいのだか悪いのだか、いや、そのどっちをも備えた複雑な…つまり「共感しようか、いやとんでもない、しかしわかるじゃないですか、でもちょっと待って」と女自身を自問自答であわてさせる女を演じてがっぷり四つ。堪能するほどの見応えです。アニー・ジラルドは「ピアニスト」のあと「隠された記憶」と連続でハネケ作品に出演。「隠された記憶」が遺作となりました。イザベル・ユペールと同じく、ハネケ監督のお気に入りの女優です▼エリカの父は精神を病み病院で死ぬ。母親は帰宅した娘に「お父さんが死んだのだよ」と告げるのだが、そのあとどうするのか監督は知らん顔だから、つまりこの母娘にとって父親の存在はその程度なのだとわかる。父の分を合わせた以上に母の存在感が大きいのだ。厳格な母親の支配と抑圧をどこかで開放しなくちゃエリカもやっておれない。それがアダルトビデオ屋の個室でのビデオ鑑賞、ドライブイン・シアターにおけるカーセックスの覗き、エリカに執着する美しい青年ワルター(ブノワ・マジメル)へのサド行為になって現れる▼ワルターは小さなコンサートでエリカに出会い、エリカに求愛する。さんざんじらせたエリカは(トイレにおけるこのじらせ行為もスーパー級だ。それにワルターがイス運びを手伝っただけで、その女の子のコートに硝子破片を入れ、右手を傷つけるようなひどいこともエリカは平気でする)ワルターに紙に書いた条件を満たせと要求する。場所はエリカの部屋である。うるさいおふくろさんは締めだした。ワルター「なぜ紙なんか読むのだい。こうして会っているじゃないか」早くもベッドに押し倒しかけているのだが、エリカは冷静に読んでくれと頼む。ワルターが声をだして読む。つぎがその内容だ「ストッキングでさるグツワをして、ベルトをきつく締めて私の顔の上にすわりお尻を舐めさせる…本気か。からかっているのだろ。ビンタしろ? 一番の望みは手と脚を背中でしばり母の近くに寝かされたい。ただしドア越しで、母は近づけない。この家の鍵を持ち去りひとつも残さぬこと…その知的な顔でクソ同様の中身か。なにか言えよ」「もしわたしがあなたの命令に逆らったら殴って。なぜ母に逆らい、やりかえさないのか聞いて。そしてわたしにこう聞いて。自分の無能さがわかったかと。わたしは本気よ。長年の望みだったの。そこへあなたが現れた。明日までまつわ。話したくない? わたしが嫌いになった?」強度な精神の緊張と禁欲を強いられ、ノーマルな愛を受け入れられなくなったエリカが痛々しい。ワルターは「病気だよ。治療しなくちゃ」まっとうなことをいうが、もう一刻も早くこの女と手をきりたいと顔に書いてある。彼は結局エリカにこういうのだ「殴れって? 手を汚したくない。手袋したってイヤだ。心から愛していた。そんな愛もあるのだ。でもいまは嫌悪感だけだよ」。そんな愛ってどんな愛だ。ハネケはワルターが代表する「そんな愛」を見事に木っ端微塵にして、逆に「こんな愛もあるのだ」とエリカの愛を提示している▼鍵盤の真上から写したピアノの演奏は斬新で美しい。イザベル・ユペールとブノワ・マジメルは少しであっても自分で弾いている。バーグマンといいディートリッヒといい、最近ではホリー・ハンターといい、ピアノを弾ける女優ってカッコいいな。エリカがシューマンの曲想をこう解釈するシーンがある「自らの狂気を悟り、最期の一瞬正気にしがみつく。それこそ完全な狂気に至る直前の、自己喪失を意味する」精神の闇と光を往還する芸術家の、一本の綱の上を歩く、鋭くも美しい自画像に思える。

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