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映画監督特集

2012年10月16日

特集 「ミヒャエル・ハネケの幻影城」 
タイム・オブ・ザ・ウルフ(2008年 近未来サスペンス映画)

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監督 ミヒャエル・ハネケ

出演 イザベル・ユペール

再生の近未来 

ハネケにすれば珍しく明るさと希望があって、やれやれ、という気がする。感情の氷河期「セブンス・コンチネント」で始まったハネケの映画世界は、そろそろ氷河の解ける時期がきたのでしょうか。わかりませんけどね。彼のやることだから。でも以前だと、人間と人生に幻想を持つことはゆるされない、で一貫していた映画作りの姿勢が、幻想をもつのも人間なのだな、それもま、いいか、という許容範囲が広くなったことを感じます。ハネケも70歳だ。許さん・許せない、は人間が考えているほどたいしたことじゃないのかもしれない、いくら「許さん」といきまいたところで、なるようになっていくものなのだ、という視点がひとつハネケに加わった。それはごらんの通り、この映画が語るように甘いものではないのだけど、手厳しいだけのものでもないのだ▼たとえば劇中、エヴァが聴かせてほしいと頼んで、難民のひとりが「いいよ」快く承知して難民キャンプ(みたいな駅舎)に流れる曲は、ベートーベンのバイオリン・ソナタ「スプリング」だ。腐りかけた空気が吹き払われ、深呼吸したくなるようなさわやかさと、ちょっと大げさにいえば人間らしさがスクリーンによみがえる。ハネケはこれまでこんな「飴」を観客にしゃぶらせたことはなかった。ここで思わず顔をほころばしたハネケファンは少なくないはずだ。きわめつけはラストシーンだろう。いつもの長回しだが、同じ映画の中で2度も3度も用いられた長回し(たとえば大学生の卓球や老紳士の独白の場面)でウンザリさせた「71フラグメンツ」のような底意地の悪さはなく、それどころか少年の希求に答えるやさしさと、希望の映像に変化している▼先を急ぎすぎたから順を追っていこう。戦争か災害か飢饉かで異常事態に陥った国か地域かで、食べ物や土地もある別荘に避難してきた親子4人がいる。別荘には赤の他人が入り込み、親子に銃を向け出て行けというのだ。話しあおうという父親は射殺される。残った妻アンナ(イザベル・ユペール)は車も食糧も強盗一家に取り上げられ、自転車を引き、子供ふたりをつれ警察にいくが「こんな時代だからどうしようもない。ここは危険だから街にいけ」と警官がいう。街が危険だから田舎の別荘にきたのでしょうが。話にならん。仕方なくアンナは子連れでさまよい、野宿しながら街に向かう汽車が止まるという駅に着く。駅舎には難民が数家族住み着いていた。物々交換。肉体労働の奉仕など…あのう、この映画のキャッチコピーにあった「近未来サスペンス」というのは、人類が死に絶えて、フランス語をしゃべるここにいる数人だけが生き残った物語、という設定なのでしょうか、ハネケさん。まさかもうすぐターミネーターが現れるのでは。そんな冗談をいいたくなるほど、この映画のハネケはどこか明るいものを隠し持っていて、「まだまだそれは見せてやらないよ」と出しおしみしているのだ。すぐそれがわかります▼エヴァはアンナの娘。年頃の娘らしく道行で知り合った同じ年くらいの若い男が気にかかる。彼は一匹狼で難民のなかに入らず、離れた場所で羊や食べ物をくすねる。年取った夫婦、赤ん坊を抱えた女、外国人だという理由でリンチにあいかける家族、秘密結社のメンバーらしい男(彼が難民グループを仕切っている)。人々の気持ちもすさみ、だれもやさしい言葉ひとつかけなくなる。そこへまたもや新しい難民がたどりつき、それでなくても狭い駅舎はひしめくのだ。プライバシーもヘチマもあったものではないが、夜ともなるとセックスするペアがいるのだからたくましい▼難民たちが待っているのは列車である。列車は通ったことはあるが止まってくれなかった。乗客を載せる余裕がないのか、かかわりあいたくないのか、とにかく食事も水も尽きかけてきた彼らのために停車する気などないらしい。難民たちは力をあわせ駅に棄てられていた貨物車を線路に乗せ、強引に列車を止める策に出た。難民のひとりがアンナの息子に、救世主が現れ、憐れな人々を救うため火の中に飛び込んだという話をする。息子の名はベニー。ハネケの映画では男の子はたいていベニーです。ほかの名を考えるのが面倒くさいのでしょうね▼線路の上で焚き火が炊かれている。汽車がきたらすぐわかるように。焚き火をみていたベニーは衣服をぬぎ素っ裸になって焚き火に飛び込もうとする。警らにあたっていたおじさんがすんでのところでベニーをだきとめ(このおじさんが救世主の話をしたのだが)抱きしめ「お前は勇敢だから考えたのだ。飛び込んでみんなを助けられると。でも考えただけで充分だ。待つことだ。明日になれば大きな車が肉や水を積んでやってくる。死んだ人だって生き返るかもしれない。お前の気持ちだけで充分だ。お前がそうやって助けようとしたことを、みんなに話すよ」▼そしてつぎのシーン。森があり野原があり、林があり、そんな風景を列車が走っている。ハネケのことだから列車そのものを映すという稚気あふれる好意はない。列車が枕木の上を走る音で観客にわからせるだけだ。しかしまちがいなく列車は来たのだ。得意の長回しで後ろに飛び去る緑野を映しながら、列車の走る力強い音をひびかせながら、希望の、救出の、蘇生の、再生の、近未来を暗示しながら映画は終わる。

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