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映画監督特集

2012年10月17日

特集 「ミヒャエル・ハネケの幻影城」 
ファニーゲームU・S・A (2008年 サスペンス映画)

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監督 ミヒャエル・ハネケ

出演 ナオミ・ワッツ/ティム・ロス

ハネケのだまし絵

意味はあるのか、などと考えながらこの映画の意味を考えてしまうのが、ハネケの「手」なのでしょうね。むちゃくちゃなのだ、まったく。ヒロイン、アン(ナオミ・ワッツ)は息子を殺され、夫ジョージ(ティム・ロス)を殺され愛犬を殺され、自分は犯人の「チャオ」で湖にドブン。観客は思わず内心叫ぶだろう「神も仏もあるものか」それがハネケの狙いなのでしょうか。うん、狙いのひとつかもしれないな。「ファニーゲーム∪・S・A」に満ちている不快感、不安感の源は理不尽さの肯定、はてしない無秩序と非現実感、暴力への欲望、これらが支配する世界に劇中人物(あるいは観客も含めて)がすべてはまってしまっていることへの不快であり、不安であり、ムカつきだわ▼ハネケの映画を見るとよくこの絵を思い出すのね。オランダの画家エッシャーの「相対性」というだまし絵よ。ほとんどの人が一度は見たことがあるにちがいない。それは建物だけど現実にはありえない。くねくねと階段がありいくつもの部屋があり、何人もの人物が絵の中で階段をのぼりおりしている、窓辺に立って外をみている人もいる。戸外の庭ではテーブルにすわり食事している人もいる。なんだ、この絵は、と思いながら階段を目でなぞっていくと空間が反転し、つぎからつぎ永遠に階段につながる人工世界だ。ハネケの映画とこの絵の共通項は「万人と共有できるものへの排撃」だろう。ハネケだって自分の映画が一般受けするなんて思っていない。喜んで彼の映画を見るのは、わけのわからないことを嬉しがるカンヌの審査員くらいだろう。こんな映画つくる意味ないだろ。でも見ちゃったのだから仕方ない…正直いうとハネケの映画はそれの連続だったわ。皮膚感覚のざらつく不快感をさてどう処理する▼どこかに手掛かりはないか。いくらハネケだってなにかメッセージを残しているだろう。究極のオタクであればあるだけ、わかってほしいものってあるでしょ。ないか…でもそこがおかしいよね、この映画。もっともらしいけど実は狂っているってことがメッセージのひとつなのだと仮定してみた。なんでみな殺されるのを待っているのだ。どうせ殺されるなら白シャツ男二人も殺してやればいいじゃないの。電話が通じないくらいで親子三人むざむざ死を待たなくちゃいけないのかよ▼世の中の本当の理不尽っていうのはこんなものじゃないだろ。何も悪いことしていないのに車が突っ込んできて子供がはねられた、飛行機が墜落して家族を失った、会社が倒産して放り出されたり、東日本大震災に遭遇したり、する。でもこの映画はそうじゃない。やろうと思えば打開できる立場にいることを、縷々ハネケは述べており…愛犬が殺されたとわかった段階で、こいつらの手足の二、三本叩き折ってやるべきなのに、自分の脚を折られてしまうなんて…白シャツ男は劇中ご丁寧に観客に向かって「ね、そうじゃないですか」とたずね、あなたはなんと思いますかと打診しているのだ。ハネケってキツネみたいなやつなのだ。映画のシチュエーションは彼のだまし絵だ。ほんとうは「ハネケ、人をバカにしてンのか」といって、こんなのだけが人間じゃないだろうと、蹴飛ばしてやらなくちゃいけないのだ▼屁理屈つけてハネケの映画を理解しようとすると、たとえば「暴力への欲望が怖いですね」とか「この通りのことが現実にも起こらないとは断言できませんよね」とか「そういう意味でハネケの予言的な作品といえるのではないでしょうか」とか、そんなこといいだすとこの映画にあるどうしようもない感情の衰弱に引きずり込まれる。ぴんぴんしてほくそえんでいるのはハネケだけになる▼こんな映画を作ってどこが面白いのだとハネケに聞いてみよう。ハネケはなんと答えるか。キツネの言い草は決まっている。自分は映画をつくり受け止め方はあなたに任せる、だろ。だから観客は自分でしっかり感じなくてはならない。いかにも気味の悪い白シャツ男がわれわれの顔をのぞきこんだら「失せろ、この世にお前の出る幕はない」と言ってやらねばならないはずだ。

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