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シネマ365日

2012年10月29日

ライブ・フレッシュ(1970年 恋愛映画)

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監督 ペドロ・アルモバドル

出演 リベルト・バトル/ハビエル・バルディ/フランチェスカ・ネリ/アンヘラ・モリーナ/ペネロペ・クルス

「痛切なもの」の滴り

アルモドバルにすれば平凡な出来だ。心温まるエンドではあるものの、彼の映画づくりの骨格である秘めた荒々しい暗さ、それがどうしようもない生きる情念となっている、そんなところが弱かった。最初のバスで娼婦のイザベル(ペネロペ・クルス)がお産する。経験豊富な娼館のママがイザベルの陣痛を知って「こりゃそろそろだ」と通りに出て車をとめようとするが止まってくれない。そこへ客を乗せていない車庫入りのバスがくる。これを強引に止める。このあたりさすがアルモドバルというオープニングだっただけに残念だ。ただしアルモドバルにすれば、という意味で、どうにもこうにも、箸にも棒にもかからない映画というわけじゃないのだけど。どこが物足りなかったかの、直接の理由になるかどうかわからないけど、次にくる「オール・アバウト・マイ・マザー」を準備しているのがこの映画だったと思えるのよね。「ライブ・フレッシュ」はルース・レンデルの原作だけど原作とは意識して変えた、とアルモドバルは言っている▼「人生とは暗く曖昧で歪んでいるものだ、だから人はやさしくしあう必要がある」それがアルモドバルのすべての映画の通奏低音にあるけど、「ライブ・フレッシュ」ではまだはっきりと聞き取れない。登場人物たちの哀しみは希薄だ。主人公のビクトル(リベルト・ラバル)は刑務所に入ったとはいえ20歳で出所なのだからいくらでもやり直せる。彼が恋慕しているエレナ(フランチェスカ・ネリ)は、夫ダビド(ハビエル・バルデム)にあっさりビクトルとの関係を白状し、下半身不随の夫が、怨み骨髄におちいってこれから生きていくであろうことが想像もできない女性だ。ダビドが元気なころ(彼は刑事だった)不倫の関係だったクララ(アンヘラ・モリーナ)だけが、未来のない人生に疲れビクトルとの関係にいっときの心の「避難所」を見出した人妻を好演する▼しかし彫り込みが弱いとはいえ、身寄りのない娼婦や、ゲイや、裏切られた妻や暴力をふるう夫や犯罪者が、歪んだ現実のなかでどうにかこうにか、でもしたたかに自分の場所をみつけていく、とくにマイナーな女の立場に視線をあてた新しい家族の形「オール・アバウト・マイ・マザー」の原型がみられる。面白いのはこの映画の主演級5人はアルモドバル作品にみな初出演だった。アルモドバルは全員に対して演技力を絶賛し賛辞を呈している。悪いけどそれは彼のいつものことだからあまりあてにしないほうがいいと思う。それより彼がどの役者をこれ以後使っていったかをみることで、本音がわかるというものね▼まずハビエル・バルデム。冒頭でバスを止めた娼館のお女将さんはバルデムの実の母親だ。スペインのバルデム家は有名な俳優一族だ。一度みたら妙に印象に残るバルデムの濃い顔でなにか思い出しませんか。トップはあれよ「ノー・カントリー」の殺人狂(アカデミー助演男優賞)、おまけに「宮廷画家ゴヤは見た」でナタリー・ポートマンを拷問し強姦し、監獄に閉じ込めて妊娠させ、生まれた赤ん坊をとりあげ、その後も自分の性の道具にした修道僧。ペネロペ・クルスはこのとき23歳でした。アルモドバルはすっかり彼女が気にいり「オール・アバウト」から「ボルベール(帰郷)」「抱擁のかけら」に起用します。「ボルベール」はペネロペを含む5人の主演女優がカンヌ国際映画祭女優賞を得る快挙でした。ペネロペとバルデムは、私生活でも今のところ結婚生活を続けています▼フランコ政権下の1970年のマドリッドのクリスマスの夜から26年後のクリスマスまでがこの映画の舞台。ビクトルが生まれてから26歳までですね。彼は望みどおりエレナと結婚し、エレナは陣痛でタクシーにかつぎこまれる。同乗するビクトルはお腹の子に「父さんもキミみたいにして生まれてきた」と話しかける。ビクトルの情熱に負けて一夜だけのはずで関係をもったエレナが、一夜は一夜でも一晩中官能のとりことなり、あげく嫉妬に狂った夫たちは殺し合い、クララは巻き添え食って殺され、エレナとビクトルだけがタクシーに乗って幸福にまっしぐら、なんていくらなんでもできすぎだろ。アルモドバルの独壇場である「痛切なもの」の滴りがない。

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