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シネマ365日

2012年10月30日

パニック・ルーム(2002年 クライム・サスペンス映画)

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監督 デビッド・フィンチャー

出演 ジョディ・フォスター/フォレスト・ウィテカ

卓抜した視覚情報 

デビッド・フィンチャーの視覚情報を解析してみよう。「セブン」では執拗な雨がそのひとつだった。雨音。濡れた都市。暗い情景。彼は嫌いな色はピンクだと言っている。モノトーンが彼の映画の色調だ。ほかにもいくつかある。「パニック・ルーム」では、冒頭を除いて映画は終始一貫、広い邸宅で展開する。とくに「パニック・ルーム」という密閉の狭い空間で、フィンチャーは繊細につぎつぎと、視覚情報を変化させて飽きさせない。空間そのものさえコミュニケーションの手段になっている▼ここは温厚で平穏な人間の住む場所ではない…ジョディ・フォスター扮するヒロイン、メグが引っ越す家にきて、不動産業者といっしょに家の中をみてまわる彼女の視線に添っていくうち、観客はそんな気分になる。壁は全体に薄いモスグリーンの沈んだトーン、家具のないだだっ広い部屋には生活の痕跡がない。色彩は基本的にダーク。場所はマンハッタンの一等地。文句のない物件なのになぜか不吉な予感がただよう。メグは離婚したばかりの夫への面当てに、高額な不動産を敢えて購入する。先走りしてしまうが、メグの夫スティーブン・アルトマンは有名な資産家でB級アイドルとできて離婚された。あんな女・ひどい女と劇中クソミソにこきおろされるのがそのアイドルで、電話の声だけの出演がニコル・キッドマンである▼人はバランスこそが人間の安定感覚の基軸であることを本能的に知っている。ところが4階建ての建築の最上階からヒロインが見下ろす、鋭い垂直の降下感は、斜めあるいは仰角からの撮影で不安を煽り、はやばやとこの家に危機が迫っていることを示唆する。空間のコミュニケーションとしてのフィンチの感覚が、ずば抜けているのはそんなシーンだ。家の中に緑の植物はいっさいない。壁には荷解きされていないダンボールが積み上げられ、引っ越してきたばかりの母娘はデリバリーのピザでボソボソと味気なさそうに夕食を取っている。ごめんねとメグは娘にあやまるが「わたしピザ好きよ」と娘は母をいたわる。彼女は糖尿の持病がありインシュリンを射たなくてはならない。これがのちのパニックの伏線になる▼才能ある俳優にとって声に表現されるセリフの複雑さに比べたら、文字で書かれたセリフなど記号にすぎない無味なものだろう。すばらしい声の表情を持つ俳優、たとえばメリル・ストリープとか、ジョン・マルコビッチとか、すぐあげられる数人とともにジョディ・フォスターも加えたい。どこがと聞かれるなら例えば「ブレイブ・ワン」だ。暴行され意識不明で入院していたフォスターが、ディスクジョッキーの番組に復帰、リスナーにむかって放送を始める。フォスターの声だけが数分続くのだが、このシーンに「さすがだなー」と思ったことがある▼くりかえすけれど「パニック・ルーム」は大それたシチュエーションのなにもない映画だ。家の中の壁と天井と階段と廊下。母娘と3人の強盗。それらに複雑で洗練した変化と意味情報を持たせたのがフィンチャーだと、くどくどいくら書いてもこの映画の緊迫感を伝えることは難しい。それほど「映画の主たる言語体系とは映像である」そんなわかりきったスキルを、フィンチャーはこれでもかと矢継ぎ早にスクリーンに速射するのだ。フォスターも、強盗の一人に扮したオスカー男優、フォレスト・ウィテカもこれといったセリフはほとんどない。コロンビア大学に復帰するメグが、強盗相手に品のいい言葉で喋っているものだから「そんなときは〈だまれ、クソ野郎〉っていうのよ」と娘に教えられ「だまれ、クソ野郎」とオウム返しに声を張り上げる。そんなシーンでちょっと笑うが、セリフ抜き、ヌード抜き、ラブシーン抜き、ベッドシーン抜き、ロマンス抜き、復讐抜き、銃撃戦抜き、カーチェイス抜き、謎解きなし。要は殺し・騙し・色気なしで息つくヒマのない2時間の高密度は立派だ▼男たちの目的はパニック・ルーム(緊急避難の密室)にあった。不自由な狭い部屋で、こまごまとみせてくれる金庫やぶりの工法と死にかかっている娘と、攻撃に転じた勇敢なクラリス、じゃなかったフォスターの女ランボーが後半のみものだ。電話がつながったために屋敷に来て、息絶え絶えに殴られた元夫がちょっと気の毒だったけどね。

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