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特集「ディーバ(大女優)」

2012年11月9日

特集 ディーバ(大女優) キャサリン・ヘプバーン めぐり逢い(1994年 恋愛映画)

監督 グレン・ゴードン・キャノン
出演 ウォーレン・ベイティ/ キャサリン・ヘプバーン

キャサリンの完結 

遺作になる。キャサリンは87歳になっていた。映画はくだらなかった。1939年、1957年、いや全部いれたらもっと映画化された人気のヒット作品だけど、ケーリー・グラントならいざしらず、ウォーレン・ベイティのガラじゃなかったのです。それに彼はこのとき57歳。純愛物語の主人公としては年齢的にちょっと無理があったようだわ。彼はもともと表情の動きが少ない役者だと思いません? それがアメリカン・ニューシネマ時代は、たとえば「俺たちに明日はない」なんかだと、従来の役者の表情作りが、大げさで芝居かかったようにみえる、いい方向への作用にはたらいたのだけど、57歳になって女を口説き、一生の愛を誓うにはもうちょっと艶をつけてほしいよね。それに体が重くなったぶん、顔が下膨れになってきたのがイメージダウンだわ。少なくとも主役を張るならもっとシェイプアップしてほしかったわ。奥さんのアネット・ベニングが一方的に点を稼いだって感じ。アネットと結婚してから2年目の共演。私生活で流す浮名が余りに激しすぎて、姉のシャーリー・マクレーンが引導をわたし、それで悔い改めたのかどうかはともかく、ベニングとの間に4人の子をもうけ、いまも結婚生活が続いている。劇中のキャサリンの予言はあたっているじゃない▼さてキャサリンだ。その前にこの場所はどこだ。本作のロケ地ですよ。トニー・リーブスの「世界の映画ロケ地大事典」によれば仏領ポリネシアですね。元フットボールの花形選手で人気解説者マイク(ウォーレン・ベイティ)が飛行機のなかで美しい女性テリー(アネット・ベニング)と出会う。飛行機はエンジンが故障してサンゴ礁の島に不時着。通りがかった客船に移乗する。船はボラボラ島に数時間寄港することになり、マイクは島にいる伯母ジニー(キャサリン・ヘップバーン)に会いに行くといい、テリーも同行する。前置きが長くなったけど、この島の風景が、切り立った山々のふもとに広がる緑の草原。ジュラ紀か白亜紀か、先史時代の光景なのよね。こういう世情とかけ離れた地にフツーの住居がたった一軒、ポツンとあるなんて不自然極まる。買い物にでたら恐竜に出会いそうだ。そういう観客の疑問を除去せねばならないとでもいうふうに、用もないのに息子と孫みたいなのがジニーの前に現れ、とってつけたような挨拶をマイクにする。ジニーは、というよりキャサリンは、火箸みたいにまっすぐだった背中は丸くなり、炯々とした青い瞳は深沈としているが、生ける化石のごとき特別感は動かしがたい。甥のマイクがただならぬ感情をテリーに抱いていることを感じとり「人生の目的はなにかを得ることじゃない、得てから大事にすることよ」とふたりに言う▼キャサリンのシーンはここだけなのです。せいぜい20分くらい。甥たちをもてなすためにキャサリンがピアノを弾くが、どうして弾けもしないピアノを無理に弾かせるシーンを作ったのだろう。吹き替え丸出しで、全然カッコよく映らないのですよね。湖畔の湖だろうとベニスの運河だろうと、30代だろうと70代だろうとスタントなしで飛び込むような女優なのである、キャサリンは。もっと彼女が自分でやるなにかを用意できなかったのか。ピアノを弾くことが絶対必要なシーンではなかった。オムレツを焼くのでもよかったし、キャサリンが好きな絵を描くことでもよかったのだ。こういう繊細さと洗練のない演出が、この映画をラブロマンスのカタログに終わらせている▼この映画の撮影のとき、キャサリンは自伝「Me」をもう書き終わっていたのだろうか。出版はされていたのだろうか。スクリーンに映っているキャサリンは丸くなった背中、ときどきかすれる声。しかしほぼ時期を同じくして書きあげられた自伝の明晰な精神をなんというべきか。たとえばこういう箇所がある「スペンスが私のことをどう思っていたか。これはまったくわからない。ただ、これだけは言えると思う。もし私のことが好きでなかったら、彼は私のそばにいなかったろうということだ。これは、それくらい単純な話だ。スペンスはそのことについて話そうとしなかったし、私も話さなかった。とにかく私たちは27年間をともに過ごした。その歳月は私にとって至福の時間だった。〈愛〉という言葉を私は使いたい」こんなことを書く女優なぞ、どうにもこうにもこれ以上も以下も、書き加えることなんか、ない。