女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

シネマ365日

2012年11月11日

特集 「ブラックな笑い」マダムと泥棒(1955年 コメディ映画)

監督 アレクサンダー・マッケンドリック

出演 文中に含む

ブラックの古典

2004年にコーエン兄弟が監督した「レディ・キラーズ」は「マダムと泥棒」のリメイクだ。本家を知らないでみたらそれなりによかっただろうが、1955年という半世紀以上昔の映画に、ハリウッドよりキツイ面白さがあるのはなんだろう、イギリス人のブラック好き精神とでもいうのだろうか。撮影技術やセットなんか学芸会なみの稚拙なものだし、泥棒のやり口はアナログなのだが、たとえば俳優を例にとると、教授を演じるアレック・ギネス。慇懃無礼で猫撫で声で、とってつけたような紳士のふるまいで泥棒もやれば殺しもやる、スクリーンに顔をだしたとたん、いやらしい歯を剥いて笑うゾッとするような不気味さ(付け歯をしていますが、アレック・ギネスの変装術は業界でも有名です)が「レディ・キラーズ」のトム・ハンクスにあったか? 持ち味がちがうとはいえ、ハンクスはやっぱりフォレスト・ガンプか、ハーバードの歴史学教授だよね▼イギリスはロンドンのキングス・クロス駅近くにある貸家。そこに住む初老のウィルバフォース夫人(ケイティ・ジョンスン)が警察へいき、円盤の話をする。現場の担当者は「またか」というふうに署長に応対させ丁寧におひきとり願う。彼女はひとり暮らしをまぎらすため部屋を貸すことにしていた。間借り人が訪れマーカス教授(アレック・ギネス)と名乗る。教授がいうには音楽会の練習に部屋を貸してほしい、五重奏団の演奏仲間があと4人くるという。夫人は快諾する。つぎつぎやってくるがみるからにいわくありげな連中だ。ハービーさんは黒シャツに白いネクタイ。一時はやった殺し屋スタイル丸出し。役者の名前を一括してあげるとハーバート・ローム、ピーター・セラーズ、セシル・パーカー、ダニー・グリーンです▼彼らはレコードをかけながら強盗計画を練る。夫人は感心しながら聴いている。休憩にお茶はいかがと、しょっちゅうノックするので邪魔になって仕方ないが邪険に扱えない。教授の計画では彼女が大事な役割で一枚噛むのだ。教授が下調べにいっている間、残った4人は夫人に配管の修繕を頼まれたり、逃げたオウムをつかまえてくれと泣きつかれたり、そのたびに右往左往しながらいいつけを果たす。強盗たちは自分の母親の年齢に当たる人の好い夫人に弱い。文句をいいながらオウムを追い回し、配管を直す▼やがて決行。現金輸送車から大金を奪う手際のよいこと。さすがプロです。輸送車の扉をこじあける特大のバール、大型ワイヤーカッターなど、コンピューター犯罪とは比べるべくもない〈手作業〉なのだが、それはそれで手練の技なのだ。奪った現金は、夫人が教授に頼まれて駅に引き取りにくるトランクの中にぎっしりつめこまれている。なにもしらない夫人は教授のかわりにトランクを受けだし、タクシーに乗って帰宅する。無事帰るかどうか泥棒たちが別の車でつけていく。夫人は往来で叩かれていた馬をみて車をとめ、やめなさいと止めにはいる。叩いていたのは八百屋だ。彼が荷車を止めている間に、そばにつながれた馬車馬が、リンゴを2キロも食べてしまったのだ。そら怒るわ。往来は大騒ぎ。泥棒たちはどうでもいいから早く夫人に家に帰ってほしいとヤキモキしてみている▼ひょんなことからチェロケースにいた現金が夫人にわかり正体が割れる。夫人は金をもって警察に自首せよという。ここで泥棒たちは夫人を殺すことにするが、だれも自分ではやりたがらない。クジ引きにしたところ当たったやつは金を持ってドロンしようとする始末。そういう裏切り者は容赦なく殺し、死体は橋の上から両足をもってぶらさげ、下を通過する貨車の荷台に落とすという原始的かつ効率的なやりくち。こうして強盗団はつぎつぎクジを引いては、そのたび夫人殺害を回避して逃亡をくわだて抹殺、こうして数が減り、最後は教授とふたりだけになる。もちろんどっちも相手を殺そうとしのぎを削るのであるが、まさに相討ち、つまりどっちも橋から線路に落ち、列車の下敷きになるのだ。夫人は警察に一部始終を届けるが例によって彼らは円盤扱いにし「お金を預かっていますがどうすればいいですか」という夫人に「当然あなたのものです」思い切り気前のいいことを言う▼強盗団がみな死んでしまうところといい、あっさり仲間われしてしまうところといい、平気で殺しあうところといい、かなりアブナイ内容が、つつましく、ユーモアと、そして教養ある会話で進められるのだ。ギャングのどこが、と思うかもしれないが、これは一にかかって夫人を演じたケイティ・ジョンスンの、古きよき時代のイギリス夫人のツッコミを受けるアレック・ギネスの、受けの演技の味わい深さだろう。だからこれは人情物であり世間通俗ものであり、泣き節があり皮肉があり、最後はあたたかく終わるものの、現実をけっしてみくびっていない、ブラックの古典なのである。