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シネマ365日

2012年11月25日

いつかきっと(2002年 家族映画)

監督 オリヴィエ・ダアン

出演 イザベル・ユペール/アンドレ・マルコン

しっとりと胸にひびくシャンソンのようなロード・ムーヴィーだ。2002年前後といえば、イザベル・ユペールにとってどんな年だったのだろう。2000年「甘い罠」(クロード・シャブロル監督)、2001年「ピアニスト」(ミヒャエル・ハネケ監督)、2002年「8人の女たち」(フランソワ・オゾン監督)、2003年「タイム・オブ・ザ・ウルフ」(M・ハネケ監督)、2004年「ハッカビーズ」(デビッド・O・ラッセル監督)。わずか2,3年でこれだけのうるさい監督たちの映画に出ている。わけても変わった映画ばかり撮るハネケは、イザベルの主演が「ピアニスト」を監督する絶対条件だったと言うから、たいしたものというべきだわね▼つまり「いつかきっと」はイザベル・ユベール49歳、絶好調のときの映画である。彼女の顔をつくづくと見てください。細い眉、ちょっとかぎ鼻ふうだが鼻梁の薄い鼻、唇は極端に薄くはないがなぜか厚さを感じさせない。どちらかといえば目は大きくて二重だけど、強い視線を示すときは少ない。一言でいえば線が細いでしょう。油絵でコテコテに描いた顔ではなく、鉛筆か淡彩でさっと仕上げたような、そのくせ柔らかいのか堅いのか判断がつきにくい奥行きがある。体の線もよく似ていて、細い体躯のわりに頭が重そうで、体の重心がとりにくいような、おぼつかない歩き方をする。ソファ・ローレンのような堂々と闊歩する歩き方ではない。アンジーのように足音をひそませた肉食獣のような歩き方でもない。小柄な女優といえばジョディ・フォスターがそうだが、あんなすばしこい全身の雰囲気はイザベルにはない。もっと怠惰であるが、その怠惰にはそれとない抑制が伴われている▼シルビアは疲労感をただよわせ、目の下に隈をつくり、いつも曖昧なものをひきずっている感じがする。ニースの町で毎晩路上に立つシルヴィアは娘が一人いる。いつも母親の帰りを待っているが、コンプレックスのかたまりである母はろくに口もきいてやらない。ある夜男二人が闖入してきてシルヴィアに暴力をふるう。隠れていた娘はとびだし男にナイフを突き立てる、もう一人の男は腰を抜かしそうになって逃走する。シルヴィアは「逃げるのよ」後先みずに娘を連れて駅に向かう。刑務所を仮出所したピョートル(アンドレ・マルコン)と出会い、別れた前夫との間にできた8歳の息子に会いたいと、息子のおみやげに雑貨店でテディベアを買う(盗むのか)が、前夫はすでに再婚し子供が生まれることを知って、息子をだきしめただけでシルヴィアは去る。娘とはケンカして別れ別れになってしまった。娘とピョートルは写真を示しながらこの女性をみかけませんでしたかと、村から村を訪ねるのだ。田舎だからできたことだろう。三人は無事めぐりあえた。今まで母親の愛情を疑っていた娘は、なにも考えず自分を連れて逃げ、だれにもわたすまいとする母親の逃避行に、いつしか自分への強い愛情を感じる▼ピョートルとイザベルはいつしか心をかよいあわせ、どこか知らないが国境を超えて無事新生活に入れそうなのだ。たぶんハッピーエンドになるのでしょうね。というのもダアン監督は「めでたし、めでたし」とは口に出して言いたくないみたいで、そのへんちょっとクールに決めている。南仏の風景の、ゴッホの絵にでてくるような一面の黄色い麦畑とか、青い高い空とかの美しさは、フランスの民謡か日本の童謡に現れる抒情歌的光景といえばわかりやすいでしょうか。そんな自然の中を、娘との逃避行を通して捨ててきた過去へ立ち返り、見失っていた自分を取り戻す。ピンヒールをはいたシルヴィアが歩きづらそうに、でもなんとかまっすぐに歩こうとする。みていてどこかあぶなっかしく、痛々しくさえ思うのだが、本人は自己憐憫などとっくに通り越してしまった、もう棄てるものはなにもない、まるで羽化する直前の幼虫のような弱々しさと新生の予感をイザベル・ユペールは演じる。