女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

シネマ365日

2012年11月26日

ブレードランナー(1982年 SF映画)

監督 リドリー・スコット

出演 ハリソン・フォード/ルトガー・ハウアー

「涙のように、雨のように」

リドリー・スコットは「ブレードランナー」の2年前、43歳のときに「エイリアン」を撮っている。この映画が忘れられない要素はいくつもあるが「ブレードランナー」との関係でいえば「サイバーパンク」だろう。コンピューターの進化による情報網の偏在云々と説明するより、サイバーパンクを描いたものにどんな映画があったか、事例をあげたほうがわかりやすい。つまり「ロボコップ」とか「マトリックス」とか「トロン」とか。人体にコンピューターを埋め込んだり、サイボーグ化したりする「ターミネーター」もそうでした▼リドリー・スコット監督が卓抜だったのはそのサイバーパンクの圧倒的な視覚化・映像化だった。「ブレードランナー」で言えばジメジメした陰鬱な近未来(2019年とある)のロス。環境汚染によって高層ビルが立ち並ぶ巨大都市には緑の木や草は1本もなく、酸性雨が降りしきる。地上の道は渋滞でパトカーは空を飛ぶ。路上には各国の人種がひしめきあう小さな屋台を覗きながらけだるそうに歩き、けばけばしいネオンサインには日本語もある。「強力わかもと」とか「日本料理」とか。屋台の親父は日本語で喋るし。とにかく国籍不明の退廃的・カオス的都市だ。雨ばかり降って一日中街は暗く、ひとつも太陽がささない▼こういうイメージが、リドリー・スコットの映画には、大なり小なりついてまわっている。「ブラック・レイン」でも大阪の御堂筋や阿倍野界隈の猥雑な映像には「ああ、やっぱり」と思えるし、ローマ帝国が舞台という、コンピューター世界となんの関係がある、という「グラディエーター」にすら、日の差し込まない重厚な部屋にいる皇帝の身辺や、暴行略奪の現場跡には、スコットの(サイバーパンク)が染み込んでいるような気がした。彼は美大でグラフック・デザインを学びBBC(英国放送協会)にセット・デザイナーとして就職した。だから制作現場に精通していてなんでも自分でやるしコンテも描く(スコットの完璧主義ときたら、彼のロンドンの邸宅のハウスキーパーを勤めた高尾慶子さんの「イギリス人はおかしい」に詳しい)。なかでもハンス・ルドルフ・ギーガーと組んで造型した「エイリアン」は映画史上の傑作だった。「エイリアン」の造型はメカニズムの勝利だった。「ブレードランナー」ではさらにそれが、穴グラみたいな住居、そこに押し込まれたようなみじめな人間の生活や、精巧な玩具をつくって精神のバランスをとるしかなくなった地球人という、コンピューターに追いやられる人間の衰退を示して秀抜だった▼遺伝子工学の高度な発達によって造られた人間そっくりの人造人間(レプリカント)は、宇宙探索や植民地惑星での危険で過酷な労働に従事していた。製造から数年たてば感情が芽生え、人間に反旗を翻すようになったことから、あらかじめ死期がセットされるようになった。ブレードランナーとはレプリカントの犯罪や反逆にそなえ、彼らを識別し抹殺する捜査官のことだ。デッカード(ハリソン・フォード)は優秀なブレードランナーだったが、人間と変わらないレプリカントを抹殺することに疑問を感じ辞任した。しかし元上司に呼び出され、地球に潜伏した6人のレプリカントの抹殺を頼まれる▼レプリカントの創造者は天才科学者タイレルだ。地球に潜入したレプリカントのリーダー、バッティ(ルトガー・ハウアー)の目的は何なのか。レプリカントの襲撃を撃退しながら、デッカードとバッティは対決する。人間の知力腕力を超越したバッティはタイレル博士も惨殺した。地球潜入の目的は自らにセットされた死期を知ることと、レプリカントという人類の奴隷を創造したことへの復讐である。さんざんデッカードを痛めつけ、最後の一撃を与えればデッカードを殺せるのに、死期を悟ったバッティはデッカードを助ける。ここが泣いてしまうのだ。彼はデッカードの顔をのぞきこみながらつぶやく。「おれはお前ら人間が信じられないものを見てきた。オリオン座の近くで燃えた宇宙船や、タンホイザー・ゲートのオーロラ、そういう思い出もやがて消える…時がくれば涙のように、雨のように…そのときが来た」降り注ぐ雨音にまじり告白するバッティの独白が、レプリカントの悲しみを表象する。雨に打たれじっとうつむいて死を迎える、ストイックな最期が哀切極まりないのだ。「涙のように、雨のように」こんなたった一言、それも叙情の一言があるのとないのとで映画はひっくりかえる。どちらかというと冴えなかったハリソン君にくらべ、圧倒的な存在感をみせつけたラストでした。