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特集「ディーバ(大女優)」

2012年12月4日

特集 ディーバ(大女優) ソフィア・ローレン 
あゝ結婚(1964年 家族映画)

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監督 ヴィットリオ・デ・シーカ

出演 マルチェロ・マストロヤンニ/ソフィア・ローレン

デ・シーカの自信 

ナポリのスラム街で生まれ、学校にも行けず極貧で育ったフィルメーナ(ソフィア・ローレン)。パンをくれる近所の親父から強姦され17歳で娼館に売られた。初めての男がドメニコ(マルチェロ・マストロヤンニ)だった。このふたりがたどる結婚までの22年間が本作の軸だ。タイトルはコメディっぽいが、ローレンが演じるヒロインの、シリアスな母性愛にうたれずにおれない。時代は第二次世界大戦が終わったイタリアのナポリ。ドメニコと再会したフィルメーナはいまや娼館のナンバー1だ。関係が復活した。ある日競馬場に連れていってやるというドメニコにフィルメーナは大喜び。娼婦の自分を人前に出してくれるのだ。でも着いた競馬場は休日でだれもいないときをドメニコは選んでいた。フィルメーナを身請けしたドメニコは一軒の家を与える。前の主人のときからいるメイド親子は、そのままここで働いてくれたらよいというフィルメーナに感激し「はい奥様」と返事する。「おくさま」フィルメーナはかみしめるようにその語感をつぶやく。そう、フィルメーナの幸福のゴールは結婚なのだ。それをもちだすと「母親にあわせる」とドメニコ。ああやっと…涙ぐむフィルメーナが会ったのは家族の見分けがつかない認知症の母親で、フィルメーナがやることはシモの世話、あてがわれた部屋は女中部屋だった。屋敷で(ドメニコの家は富豪である)パーティーが催され、フィルメーナが甲斐甲斐しく準備し、来客を出迎えようとするとドミニコは冷たく「君はでてこないでくれ」▼フィルメーナが聡明な働き者であることをさいわい、ドメニコは自分の菓子店の経営を任せて遊びほうけ、字が読めず自分の名前を書くのがやっとというフィルメーナをバカにしいつまでたっても娼婦扱い。フィルメーナは40歳になったがなにひとつ報われないままだ。あろうことかドメニコは若い娘と結婚するという。どこまで人をバカにしているのだ。式の打ち合わせに余念のないドメニコに、フィルメーナが倒れたという連絡が入る。ふりむいてくれない男をふりむかせるために女が一芝居打つ、それだけならありふれたコメディだろうが、デ・シーカの本領はここからだ。男のエゴイズム、男と女のしたたかな打算、損得とかけひきをまじえながら、それでいていじらしく力強い母性。死ぬと思ったから結婚すると神父の前で誓ったが、詐欺だったとドメニコは弁護士に訴える。法律上その結婚は無効であると弁護士は通告、書類に署名しろというが「見ても読めないわ。でもそういうことなら名前は書けるから署名でもなんでもするわ」とフィルメーナ。腹をくくったときのローレンの底力のようなものがスクリーンを席巻する。結婚したかったのは「三人の息子がおり、戸籍を与えてやりたかったからよ、そのうち一人はドメニコの子よ」と告げる。うろたえるドメニコにフィルメーナは小さく折りたたんでペンダントにしまい、肌身離さず22年間もっていた100リラ札をドメニコに渡す。「忘れられない日の日付を書いておいたの。靴を買った日は覚えていてもわたしとのことは忘れてしまう人よ、あなたは。でもこの日付だけは残しておくわ」「うそだ。字が書けないのに日付が書けるはずないじゃないか」とどこまでも男のいやらしさをデ・シーカは暴き立てる。フィルメーナはことさら騒がず「数字くらい書けるのよ」と札の端っこを小さくちぎって胸にしまう。田舎の別々の家に預けていた息子たちを家に呼んだフィルメーナは、土壇場になって足がすくむ。この招待状のフィルメーナという名前を知っているかと息子の一人の言う声がドア越しに聞こえ「知っている、有名なアレだ」と答えたのがいる。フィルメーナを初めて「奥様」と呼んだ長年のメイドが「大丈夫です、お入りなさいまし」と励まし背中を押す。部屋に入ったフィルメーナは「そうなの、わたしがフィルメーナなの。あなたたちの母親よ」と告げる。息子たちは凍り付くがいちばん下の幼さの残る子が「お母さん」といって抱きつく。長男はショックで部屋を出ていく。よびとめようとする弟を「いいのよ」と母親はやさしく制する▼ドミニコの家を出て息子三人とフィルメーナは暮らし始めた。気が気でなくなったのはドミニコの方で、だれが自分の息子か確かめようと、ストーカーのようにまとわりつく。フィルメーナがまたもや自分をペテンにかけようとしていると疑い、息子の年齢と過去のセックス歴を洗い出すという滑稽なことに血道をあげる。まあ、三人ともドメニコの子だと思いますけどね。一人だけだといったほうが男にとってはミステリアスでしょ。ことほどかようにデ・シーカとは手練手管を弄する監督なのである。デ・シーカの映画の根幹、いちばん太い中心思想は「情」です。彼がくりだす監督術の惜しみなくあふれる豊かなものが「情」だ。ここを踏み外してどんな映画も、いや芸術さえ生み出す価値はないという監督の、断固決然とした自信に気持よく圧倒される。

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