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シネマ365日

2012年12月15日

ルー・サロメ 善悪の彼岸(1977年 伝記映画)

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監督 リリアーナ・カヴァーニ

出演 ドミニク・サンダ/エルラルド・ヨセフソン/ロバート・パウエル

光と闇のもう一人の自分

ルー・アンドレアス・ザロメ(サロメ)の映画化で、リリアーナ・カヴァーニ監督がドミニク・サンダをサロメに決めた、まずこれが成功だった。ドミニクとルーが驚くほど似ている。ルーは美人だった。写真でみてもそれがわかるし、もしこの写真が歩き呼吸し、笑い怒り、そんな状態を想像したらドミニク・サンダのルーほど適役はいなかったと思える▼ニーチェとパウル・レーとサロメの三角関係をあっさり言えば、哲学者の男ふたりがルーにひきずりまわされたということだろう。発端は1882年ローマのマルヴィーダ・フォン・マイゼンブル女史のサロンでルーとパウルが出会ったことだ。一目惚れしたパウルは求婚するが「ふたりの男といっしょに暮らすのを夢見たことがあるわ」とルー。「ひとりじゃダメなのか」とパウル。「甘ったるいわ」そこでパウルがもうひとり、連れてきたのがニーチェだ。災難というべきだろう。ニーチェは24歳でバーゼル大学教授に抜擢された秀才だった。父は牧師で教師。実家は母と妹と叔母が同居する、いわば女所帯のなかの希望の星だった。ワーグナーへの心酔と決別もあったが、ルーに比べたら男同士のもめ事というのはどこかあっさりしている。バイロイト音楽祭のあとワーグナーとは「結局あんなものだよ」とニーチェは妹に言ったが、ルーは「あんなもの」とはいかなかった。妹の嫉妬がすさまじかった。ニーチェは女難の運命だったのか。年齢をみてみよう。出会いの時ルーが21歳、パウルが33歳、ニーチェは38歳。いい年をして仕事も安定している中年男ふたりが、小娘にケが生えたようなルーの「いっしょに暮らす」につきあったとは。事実だから仕方ない。劇中ルーが鞭をもちニーチェとパウルが脇侍のようにそばにいる有名な「三位一体」の写真、あれはホントなのだ。資料として残っている▼もちろん長くは続かなかった。同年の冬には解消されパウルとルーはベルリンで同棲した。ニーチェはイタリアに行き、トリノで鞭打たれている馬を守ろうと首に抱きつき、馬に話しかけているときに昏倒した。本作で描かれるニーチェはちょっと気の毒だ。ニーチェは言う「わたしはルター派の牧師の子孫の息子。わたしに道徳を説き私の本質を抑圧した敬虔な叔母たちの甥、よってわたしは甘美な悪魔に教養と引換に梅毒という贈り物を授かった。親愛な母と妹よ、病がわたしを変えてくれました。こんなに見苦しく、こんなに人間らしく」マイナー調であるものの、かくも明晰な男性が惚れ込みはしても我を忘れるとは思えないのだが、この映画でニーチェはまるでセックス呆けした、搾りかすみたいなのである。当然その分ルーが光るように作られていましてね「ルーはわたしの超人だ。自分の欲望を満たすためすべてを破壊した。ルーという女はやせこけた胸の薄い汚らわしいメス猿だ」(ニーチェ)「だから僕の運命だ」(パウエル)…もう好きなようにいうとれ。ニーチェのみる幻覚のシーンがある。リリアーナ・カヴァーニが「愛の嵐」でみせたナチズムの悪魔的なシーンに通じる。悪魔とキリストに扮したふたりのダンサーが、退廃と混迷と欲望を表出して出色だった▼ニーチェは精神を病みパウルは自殺し、ルーは自殺しかけた東洋学者カール・アンドレアスの脅迫にまけて結婚するが、名義だけのものでアンドレアスと家政婦マリアの関係を黙認した。ルーはこのあとウィーンでフロイトに学び精神分析の治療に携わったりするが36歳のとき詩人リルケと出会う。この映画にリルケは登場しないが1897年の出会いのときのそれぞれの年齢はルーが36歳、リルケが21歳、ニーチェが53歳、パウルが48歳だった。ニーチェは2年後55歳で没する。その1年後パウルが自殺した。リルケは26歳になってルーとの関係を精算しクララ・ヴェストホフと結婚したが、家を棄てたようにヨーロッパ中を移り歩き、クララはひとり娘を出産したものの離婚を決める。共通項をいえばみな結婚には向かない相手とめぐりあっていた。善悪の彼岸とはどんな場所かわからない。ニーチェにせよパウルにせよ、ルーにせよリルケにせよ、同じようにひきあい、同じように弾きあい、それが光をも放てば闇にもなって自分を滅ぼす、もうひとりの強烈な自分を持っていた。彼らは一般的な意味からすれば不幸だったのだろう。結婚もせず(あるいはできない性格で)、温かいとされる家庭にも子供にも恵まれず命さえ絶つ。光と闇が激しく明滅する彼らの仕事と作品は、しかしのちの人々にときとして詩のような魂の静寂をもたらした。そこに立って人は思うかもしれない。善悪の彼岸とはひょっとして、いま自分がそれを感じているこの場所かもしれないと。

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