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特集「アニマルフェスティバル」

2012年12月21日

愛と勇気の年末特集「それ行けアニマル・フェスティバル」三匹荒野を行く (1963年 動物映画)

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監督 フレッチャー・マークル

生きるとはチームワーク

さていよいよ「シネマ365日」も12月の年末特集を迎えました。さまざまな思いを込めて1年をふりかえり新しい年に臨みたいですね。そこで涙あり、笑いあり、わたしたちに愛と勇気を与えてくれる元気な特集「それいけアニマル・フェスティバル」で今年を締めくくりたいと思います▼トップバッター「三匹荒野を行く」はこれ、すべて実写なのですね。1980年代以降、CGやアニマトロニクスなど映像を後から加工する技術が生まれ、SFX(スペシャル・エフェクツ=特撮効果)に対しVFX(ビジュアル・エフェクツ=視覚効果)と呼ばれる映画が進出した。観客にはどっちでもいいようなものだが、コンピューター技術やロボットの進化によってファンタジー映画は一挙に拡大した、というより何でもアリになった。そんな映像社会に慣れっこになった今の目からすると、すべて生身の動物たちの実写で完成させた「三匹荒野を行く」は立派というか、動物たちがすごいというか、なつかしいというか、人と動物がいっしょになった映画づくりの出発点そのものです。「奇跡の旅」は本作のリメークで、そのまたつぎに「奇跡の旅2」が作られたけど、原点の「三匹荒野を行く」はナレーションのみで物語は進む。ナレーションはベテラン俳優であり、声優でもある久米明が担当した。とにかくなにひとつ奇をてらわず、手法はドキュメンタリーのように堅実、できあがった作品はファンタジーにあふれるという映画になった▼もちろん人間の俳優も出演するがあくまで脇役である。主役はこの三匹。優秀な猟犬である若いルーアはゴールデン・リトリバー。12歳の老犬ブルテリアのボジャー。シャム猫のテーオ。みなオスだ。三匹はカナダの森のなかのハンター家で飼われている。ハンター教授が一家ともどもイギリスに出張するあいだ、教授の友達が三匹を預かることになった。その友達が三週間ほどカモ猟に行くことになり、後の世話をお手伝いさんに頼んで出かける。しかしルーアはさびしくてたまらない。元の自分の家に帰りたい。そこはここから320キロ西にある。雁がわたる空を見上げていたルーアは「家に戻る」決心をしてふらりと森に向かう。残る二匹もいっしょに行く。三匹は仲がよく、いつも行動をともにしているのだ▼撮影はさあ、動物任せだったとはいえ、どうやってしつけたのだろう。老犬のボジャーがまずへたってしまう。映画では12歳だが実は3歳の犬が老け役をしている。よろめいたり、倒れたり、とぼとぼ歩いたり、こんな芸達者はいない。ブルテリアという犬種は当時まだ一般的ではなく、ペットに飼われていることもあまりなかった。で、ブタみたいな顔をしたイヌ、ということで三匹の中ではずいぶん割をくって、ボジャーが掛け値なしの名犬だとはなかなか知られなかった。リーダー役のルーアは頭のいい勇敢なイヌだ。立てなくなったボジャーを休ませることにするのだが、こんなときに機転の効くのがネコのテーオ。さっそく得意の狩りの腕でトリを仕留め、ボジャーに「食え」と咥えてきてやる。腹いっぱいになり充分休んだボジャーは元気を回復、ふたたび旅は続く▼クマに襲われたとき、二匹のイヌが押され気味のとき助けに入ったのがテーオだ。真っ赤な口を開き、牙を剥き、鋭い爪でクマに猫パンチ。猫パンチがはたしてクマに有効か無効か、このさいあまり関係ない。クマに打ってかかるという攻撃が大事なのだ。小さいテーオの夜叉のごとき、変幻自在の身のこなしにクマは突っ立ち「もうこいつ、うるさいな」そこへ吠えまくるイヌ二匹。面倒になって退却。クマをも恐れぬテーオだったが、しかしこれには参った。川である。泳ぎの得意なイヌはこわがらず川をわたったが、テーオはビーバーの橋を伝って向こう岸に。あと一息というとき、橋が崩れた。テーオが濁流にドボン、すかさずルーアがとびこみ抜き手をきって追うが、滝あり岩あり、ついにテーオは濁流に沈む▼まあこんなふうに、ひとつもわざとらしくないシーンが続くのですよ。最大の難所、雪のアイアンマウスなんてホントに雪が積もっているところをネコが歩くのはちょっと酷だったな。ネコの脚は短いでしょ、だから地面に届くには腰くらいまで埋もれるのよね。テーオはそれを飛び上がり、飛び上がり進む。ここで三匹のうち一匹くらい死んじゃうのが普通だろうけど、そうならなかったのは、たぶんネコと老犬がまじっていたからだ。刻苦精励をロマンとするルーアみたいなイヌばかりだったら死ぬまで…いいや、死んでも頑張っちゃうよ。老犬という弱者と現実家のネコがいることでルーアは「妥協」と「そこそこ・ほどほど」で現実をハンドルすることを知ったにちがいありません。なーんて、この映画は主張していませんよ、でも人間も動物も助けあって生きていくのは結局いっしょだよな、そんな考え方に自然となっちゃうのがこの映画なのです。

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