女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「アニマルフェスティバル」

2012年12月29日

特集 「それ行け アニマル・フェスティバル」Peace(2010年 ドキュメンタリー映画)

Pocket
LINEで送る

監督 相田和弘

「等価」の思想 

岡山市。柏木さんは擁護施設を定年退職し、障害者や高齢者の移動を助ける福祉車両を運転する。車椅子の人を公園に連れていく、高齢者を介護施設に送り迎えする、あるいは病院に付き添い診察が終わったら家まで送っていく、買い物にも同行する、はきやすそうな靴を選ぶのも手伝うし、帰りには回転寿司にも寄る。奥さんの廣子さんはヘルパー派遣のNPOを運営する。やりくりは厳しい。廣子さんは91歳で生活保護を受けている男性の橋本さんを訪問するときは、家に入るまえにダニスプレーを服にシュッシュッとかける。橋本さんの家は6畳か四畳半か、とにかく狭いうえにネズミやダニがいる。石鹸はネズミが食っているし、ダニで痒くなる。でも橋本さんは、病院に行くときは必ずネクタイをしめ、人とあうときもネクタイと背広姿を崩さない。橋本さんは末期がんだがタバコが大好きだ。両切りのピースをうまそうにふかす。廣子さんが新しい魚を焼くと「うまそうな匂いがする。でもさっき食べたばかりだから」と橋本さんは口をにごすが、もう食欲がわいてこないのだ。橋本さんの話し相手になっていて廣子さんは橋本さんが戦争の経験にふれるのを初めて聞いた。「男の値打ちは一銭五厘だった。はがき一枚で召集され生きて帰るなという教育を受けた。ぼくは生きて帰ったから恥ずかしかった」そして「自分が死んだあとのことを考える」という橋本さんに廣子さんは「あなたの望むようにお手伝いしますよ」というのだ。なんて心強く安心できるヘルパーさんだろう▼廣子さんはでも夫の柏木寿夫さんがきらいで仕方のないことがある。猫だ。家に野良猫がすみつき、ここ二十年くらい常時4,5匹いる。子供を産んで増えたかとおもうといつのまにかいなくなる猫がいて、不思議と4,5匹で安定する。廣子さんはネコカンや猫ドライフードにハエがたかり、ウンチが臭うといってご近所の苦情を受け、いつもあやまる係だ。柏木さんは朝おきたら規則正しく猫にえさをやり、水をやり牛乳もやる。猫にはそれぞれ名前がついている。ある日黒と白のブチの大きなオス猫がまぎれこみ、エサを盗んで自分だけ離れた場所で食べた。以後その「泥棒猫」はちゃっかりエサ目当てにやってきて、自分の居場所をつくってしまった。居候がふえたわけだ▼猫のなかに右前脚がつぶれてちゃんと歩けない猫がいる。たぶん交通事故にあったのだろう。腎臓が弱っていて、柏木さんは獣医さんのところで点滴を受けさせに週に何回か通っている。白い猫だが脇腹の毛がハート型になっているのが愛嬌だ。泥棒猫も最初は総スカンを食っていたが、それでも出ていかず粘りにねばり、やっと追い払われずにエサが食べられるようになった。みんなに認められたようだ▼この映画は台本なし、音楽なし、テロップなし、ナレーションなし。相田監督が観察映画と名付けたものだ。観客は最初とまどうが、そのうち何だろう、何だろうと思いながらスクリーンについていく。主人公という役割があるわけでもない。脇役がいるわけでもない。あえていえばドラマもないはずなのだ。流れる日常にドラマはなくても、ドラマは流れる日常に埋蔵されている。監督はそれがわかっているから、ふてぶてしいまでに落ち着き払っている。手持ちカメラで追うそのこと自体が監督のイメージの「劇」なのである▼観客はそのうち気がつく。柏木さんや廣子さんや、猫たちとつきあって監督の視線のさきをたどっていくと「なにもない」のだ。みごとなほどに空っぽである。人間も猫も生も死も、そこではひとしく時間と空間をわかちあい、それだけだ。すべては等価なのだ。だれかが勝っているわけでもなく、なにかが劣っているわけでもなく、持てるものも持たざるものもひとしく価値があると思えばあるし、ないと思えばない。相田監督は平和というテーマを韓国の映画祭から受けてこれをつくったといっているが、監督の描いたものは「等価」であり、これこそが「平和」なのだ。どこの国のどんな人間も等価である。人間だけでなく動物もすべての生き物は等価である。命は等価である。この太い基本線が音楽も台本もナレーションも必要でなくしてしまった。主人公はたぶん猫だろう。争わず仲間を受入れ、ちゃっかり食べ権利を侵害せず共存に長けきょうという一日を受け入れる。柏木さんのあとについて猫たちをみていこう。厳しい現実が消えるわけではないが、こだわりが軽くなります。

Pocket
LINEで送る