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特集「ディーバ(大女優)」

2013年1月5日

特集「ディーバ(大女優)」 カトリーヌ・ドヌーブ 
インドシナ(1992年 社会派映画)

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監督 レジス・ヴァルニエ

出演 ヴァンサン・ペレーズ/カトリーヌ・ドヌーブ

インドシナとわたし

冒頭カトリーヌ・ドヌーブのモノローグで始まる「世の中には離れられないものがある。男と女。山と平野。人間と神々。インドシナとフランス」これだけで目の前にさーっと地平線まで見わたすようなパースペクティブを観客に感じさせる。ドヌーブはこのとき49歳だったが「昼顔」や「ひきしお」の20代のときより彫りが深くなっていて綺麗だった。彼女はつまらない映画にもたくさんでているが、気合が入っている作品は表情に冴え冴えした透明感みたいなものがあります。「インドシナ」はドヌーブの中期の秀作です。1930年から1954年のジュネーブ会議まで、四半世紀におよぶ歴史絵巻のごとき女の半生だ。場所は旧仏領インドシナ。現在のベトナム、ラオス、カンボジアである▼ヒロインのエリアーヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)は父親と暮らす。親友の夫婦が事故で死に一人娘カミーユを養女に迎え、同時に友人のゴム園を引き継ぎ、インドシナで十指に入る広大なゴム園を経営し早朝から先頭に立って数十人のクーリーを動かしている。娘カミーユを溺愛し家も屋敷もゴム園もしっかり守って将来カミーユに譲ろうとしている。インドシナ生まれのインドシナ育ち。フランスには帰ったことのないエリアーヌを、使用人たちはインドシナそのものだと思っている。召使の女たちがエリアーヌにいう、父親の愛人の悪口が面白い「お嬢さん、今度の女は大メシ食いです、肉を食わせろ、コメを食わせろといいます。愛人はもっと小食の女にしてくれと旦那さまに言ってください」▼海軍大尉ジャン・バチスト(ヴァンサン・ペレーズ)がエリアーヌに恋した。何人目の男かわからないが「娘が久しぶりに男を家に連れ込んだ」と父親は見て、男と別れることを娘に強要する。そんなとき共産党が決起しインドシナは独立にむけて動く。皇帝が暗殺されエリアーヌの屋敷はテロに放火され、カミーユは下校時に発砲事件に巻き込まれる。手当したのがジャン・バチストで以来カミーユはバチストを恋する。娘の恋人がバチストだと知り「ロマンスに憧れているだけ」だから娘と手を切れというエリアーヌに「娘の自由が許せない君は、人間をゴムの木のようにしぼりとるハゲタカだ。父親が自分をしばったように娘をしばる気か」とバチストは罵倒し平手打ちを食らわす。それがもとでバチストは離れ島ドラゴン島に左遷され、カミーユは彼を追って出奔する。エリアーヌは八方手を尽くして娘の行方を探索するがわからない。インドシナの大地をさまよう娘を、あの子はインドシナそのものになったと母親は思う…恋人ふたりはドラゴン島を脱出しもどることは不可能と伝わる禁断の海域を漂流する。その情報を得たエリアーヌは「父には黙っていた。だれにも離さないことで娘を守れる気がした。沈黙が娘の罪を隠し悪夢を消し去ることを願った」と騒ぎ立てず捜索を続ける。奇跡的にアロン湾から地元住民に救出された二人は男児を出産、警察の手を逃れ逃亡中バチストはつかまり刑務所に収監、仮釈放されるが自殺を装って殺害される▼カミーユはバチストを追う旅の途中、道連れとなった親子と知り合っていた。貧しい余り国を棄て中国に移ろうとしている家族だった。助け合いながら旅してきたが、ドラゴン島で彼らは無残にも処刑される。クーリーの過酷な労働に耐え、それでも働き親子そろって暮らすことがたったひとつの願いだった、それも許されぬ祖国の貧しさ、搾取する帝国主義への怒り、独立への希求。カミーユの人間観、人生観、世界観は共産主義弾圧の迫害を受けながら、力強く変貌していく。迎えに来た母親と抱き合いながらも、自分は家には戻らず祖国の独立運動に身を挺する、息子はフランスで育ててくれと頼む▼そして時代は1954年。ジュネーブ協定の調印がなされる前日エリアーヌは独白する。「明日フランスはあの国を失う。ベトナム代表団がパリに来ている。カミーユもその一員だ」エリエーヌはカミーユの宿泊するホテルを、立派な青年になった孫つまりカミーユの息子に教えるが彼は行かないという。そればかりか「ぼくの母親はあなただ」とエリエーヌに言う。1954年7月21日。ジュネーブ会議により15年の動乱が終結し南北のベトナムが承認された▼ちょっと不思議なのですけどね。エリエーヌのカミーユの可愛がり方が、淡々としているのか常軌を逸しているほど愛しているのか。たぶん後者だけど、それをドヌーブが演じると一見無表情の仮面をかぶるのよね。「沈黙によって娘を守ろう」なんてなかなか言えないですよ。人は深い思いはそうそう言葉にできないものだ。だからこのときのエリアーヌの気持ちはよくわかるのだけど。でもなー。娘と踊るシーンが二度あるけど、これはバチスト大尉のいうことが当たりだな。エリアーヌもやはり娘を独占したいのですよ。だって「どこかで二人きりで過ごしたいわ。だれにも邪魔されずに」なんてふつう母親が言うか? 独身の娘をもつ母親の万国共通のセリフは「早く嫁にいってくれたらセイセイするのに」だろ。ラストシーン。息子を先に歩かせハイヒールのかかとがとれちゃった、といったドヌーブが靴を右手にもったまま橋の手すりから眺める。ここに映る風景をよくみてください。決してパリのセーヌ川の川岸ではありません。彼女はまぶたにやきついたインドシナを、海を、クーリーがこぐ帆船を金色の夕景のなかに見出すのです。彼女の人生の主人公だったインドシナがここに至って幻のごとくスクリーンを圧します。大河「インドシナ」のラスト、幕を閉じるのはドヌーブの後ろ姿です。こう語っているようにみえます「世の中には離れられないものがある。男と女。山と平野。人間と神々。インドシナとわたし」

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