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特集「ディーバ(大女優)」

2013年1月9日

特集「ディーバ(大女優)」 カトリーヌ・ドヌーブ 
メフィストの誘い(1995年 文芸映画)

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監督 マノエル・ド・オリヴェイラ
出演 カトリーヌ・ドヌーブ/ジョン・マルコヴィッチ/レオノール・シルヴェイラ

本能の深淵だって?

オリヴェイラ・ドヌーブ・マルコヴィッチのトリオが撮った3本の映画があります「メフィストの誘い」(1995)「家路」(2001)「永遠の語らい」だ。監督が87歳・95歳・97歳だったときだ。最初に組んだ「メフィスト」でオリヴェイラ監督はよほどドヌーブとマルコヴィッチと息があったのだろう。でなければのちの二作の説明が付き難い。そのへんのところはおいおい見ていくとして、まず第一作「メフィストの誘い」。原題は「修道院」です。それを「メフィスト」という文学史上のビッグネームをもってくるなんてハッタリか。ハッタリではないが大いに人を食っているのは確かです▼たとえばスペインの古い修道院を訪れた教授夫妻、マイケル(ジョン・マルコヴィッチ)とヘレン(カトリーヌ・ドヌーブ)。目的は「究極のテーマ、不死を求めシェイクスピアの正体を暴く古文書さがし」だ。僧院で出会う管理人がバルタール。黒いセーターなんか着ちゃって。ファウストの前に初めて現れたメフィストが黒い犬の姿をしていたことになぞらえてか。庭番の老夫婦。清純な古文書の研究員ピエダーデらが登場する。老夫婦は白魔術の伝承者、バルタールは黒魔術の信奉者で、修道院はルシファー(堕天使)崇拝の場だった。教授はピエダーデの清楚な美しさにうっとり。ヘレンはそれを横目でみる。その夜ヘレンは文献を調べているふうな教授をベッドに誘うが教授は心ここにあらず。上の空の夫に(…)けわしい表情で自室にもどったヘレンは「バターン」思いきりドアを閉め教授をとびあがらせる▼怪しげな管理人バルタールはヘレンにも教授にも巧妙に言い寄る。教授には「女は男の意識の投影でしかなく大志は抱けない。男は神になれる。神になれると思うのは悪魔の思想だ。わたしはいやしいあなたの下僕。教授のような天才は光を生む闇の世界に入り、科学と創造の力をはばたかせるのです」歯が浮くわ。暗い僧坊でピエダーデと資料を読む教授のところにやってきたバルタールは「わたしは否定する霊だ。存在するものはすべて滅びる。存在はむなしい。あなた方が罪や破壊とよぶもの、つまり悪とみなすものはわたしの一部だ。わたしは闇の一部だ。闇は傲慢な光を生んだが今や光は生みの母の夜と戦っている」ファウストを暗誦し、教授を感動させる。なぜファウストに浮気するのだ教授、キミはシェイクスピアを調べているはずとちがうのか、おい▼メフィスト気取りのバルタールは、今度はヘレンを海の洞窟に誘い出し口説きにかかる。ヘレンは交換条件をだす。ジュラ紀にできた深い森に「魔女の庭」という場所がある。そこへ連れて行ってくれとたのむ。バルタールはさっそく彼女を案内し、森の奥深くに「本能の深淵」という自分だけが知っている秘密の場所があり、近づくものに魔術をかけるとシタリ顔で言う。ヘレンはピエダーデをそこへ連れていき迷子にさせろと命じる。あの「純粋な娘を不倫に落とせと」「ただし夫の腕に抱かせるのはやめて。女の意地がかかっているのよ」さっきまでファウストだったのがガラリ復讐の演歌に地すべりするのだ。バルタールはヘレンの意を迎えるのに汲々としピエダーデを森に連れ出す。彼女のいうには「教授はいい人だけど愛していない。むしろあなたのほうが魅力的だわ。でもわたしは神に郷愁を感じるの」どうなってきたのだ▼教授はヘレンをさがしに海辺に行く。ヘレンは泳いでいた。全裸であがってきた彼女は(映るのは脚だけですが)ギリシャの巫女ふうの白い布で身をまとい教授とよりそって海岸を去る。猟師が目で追う。こういうモノローグが出る。「猟師が語るにはその日ジュラ紀の森は大火事で全焼し教授夫妻は資料と衣類を持って逃げた。ピエダーデとバルタールは森のなかで行方不明。教授夫妻はパリで幸せに暮らし、教授はシェイクスピアの研究をあきらめオカルト学に没頭している」▼オリヴェイラ監督の作品でヒロインがこう、主人公がどう、と個々の役柄をいうのはあまり意味がないと思える。それよりなぜファウストとメフィストの名を借りて、悪魔とか堕天使とか、夜とか闇とか、反社会的・反道徳的存在をシンボライズするものが本作でおびただしく語られるのか。知識や情報で混乱した文明社会の人間が、疲弊して黒い怪物に飲み込まれていくさまを描きたかったのか、人間の精神の闇には必ずいる堕天使に姿形を与えたかったのか。それにしてもここで描かれるバルタールはやたらファウストをふりまわすペテン師みたいなやつで、この半端な悪魔かぶれを監督はあっさり火事で始末させている。教授は天才とおだてられたものの実は不倫願望のある中年のハゲの恐妻家。妻は謎めいていたはずだが若い女に女の意地を見せるという、非常にわかりやすい人。つまりこういう普通の人たちが、ほうほうの体で修道院を退散したのは誘惑の一歩手前で助かったということね。本能の深淵がポッカリ口をあけているジュラ紀の森を大火事で全焼させたのは監督の(ちょっとおおげさな言い方になるけど)人間を破滅から救いたいという思いやりね。本物のメフィストのいる場所なんか地球上のどこにもない。あるのは観念だ。オリヴィエラ監督の「本能の深淵」が観念という抽象きわまるものであることを理解したい。観念とは文明をつくりそれを発展させ、あげく疲弊した人間は自滅する。監督は「ジュラ紀の森はおれが焼いてやったから早いうちに退散しなさい、教授夫妻のように…」と言いたいのだろう。オリヴェイラといいミヒャエル・ハネケといい、かれらは自らの哲学を映像にするという、とんでもない実験に現(うつつ)を抜かすことが楽しくてしかたないのでしょうか。

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