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特集「ディーバ(大女優)」

2013年2月5日

特集「ディーバ(大女優)」 マリリン・モンロー 
ふるさと物語(1951年 社会派映画)

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監督 アーサー・ピアソン
出演 ジェフリー・リン/ドナルド・クリスプ/マリリン・モンロー

「イヴの総て」を監督したジョセフ・L・マンキーウィッツは言っている「マリリンはアスファルト・ジャングルでいい仕事をしたし、天性の無邪気さがある」マンキーウィッツはスタジオにリルケの「若き詩人への手紙」を持って入ってきたマリリンに、だれかに読めといわれたのかと聞いた。いいえと答えたマリリンは、ほとんど本を読まなかったしだれからも教えられたことがないので、何を読めばいいのかわからない、だから本屋に入ってパラパラめくって、いいと思った本を買うの…「それっておかしい?」と子供っぽくたずねた。コロンビア大学からシカゴ・トリビューンに就職、ベルリン支局をへて映画の脚本に入ったというエリートコースを歩き、すでにアカデミー監督賞を受賞していたマンキーウィッツだった。マリリンは彼の、敏腕で知性的な男性によくあるマイノリティへのやさしい面をいちはやく感じ取っていたのではないか。父親を知らず母親から引き離され、守られた記憶も経験もなかったマリリンに「弱者の本能」ともいうべき鋭い感性があったことは当然だろう。監督は最高の本の選び方だよと肯定し「この子は人にほめられたことがないらしい」と感じた。彼はこうも言っている。23歳のマリリンを切り抜いたよう卓抜な人物像である「クルーやスタッフがマリリンを食事や飲みに誘うとうれしそうにしたが、自分も仲間の一人なのだという暗黙の認識が理解できないようだった。彼女はひとりだった。進んでひとりになりたいというのじゃない。ただひとりでいるだけだった」(「マリリン・モンロー最後の真実」ドナルド・スポト 光文社)▼さて「ふるさと物語」である。マリリンは地方の小さな新聞社の受付兼秘書である。国会議員に落選し郷里に帰って叔父から新聞社を引き継いだブレイク(ジェフリー・リン)が編集長だ。議員返り咲きを狙う彼は地元の大企業を叩いて読者受けする紙面を作る。長年の相棒の記者や恋人はそんな編集方針に批判的だ。ある日彼が叩いていた大企業の社長が新聞社を訪問し、自分の経営方針を述べる。この社長がドナルド・クリスプだ。ハリウッド創生期から映画にかかわり「わが谷は緑なりき」でアカデミー助演男優賞を獲得した名脇役。彼がここでいう「相互の利益」は簡明な大企業擁護論だ。ブレイクは貸す耳をもたないが、落盤事故にあった妹の命を救った最新の手術器具のモーターが社長の会社の製品だと知り、あっさり社説の論調を変え相棒や恋人の支持をとりもどす他愛ない内容だ▼マリリンは体にぴったりしたボインのめだつセーターを着て出演している。いいよる男を礼儀正しくあしらい、好感度抜群のピチピチした若さを発散している。当時マリリンはコネになりそうな相手ならだれとでも会っていた。有力なエージェントもいたし映画リポーターもいた。自分が死んだら遺産がマリリンにいくように離婚までして、マリリンに結婚を申し込んだエージェントはジョニー・ハイドだった。彼は心臓を煩い先は長くなかった。当時の自分にできる最大の誠意を尽くしたが、マリリンはプロポーズを拒否した。死期の迫る有力者と結婚して財産が目当てだったといわれれば、今よりもっと軽く扱われる…マリリンはこんな鋭敏な現実感覚の持ち主だった。自分が軽く扱われていることを知っていた。若くて可愛くてあどけなくてボインで男のいいなりになる女▼なぜそんなふうに見られ、20世紀のセックス・シンボルとなったのだろう。マリリンが自らそう思わせたのだとしか考えられない。前出のスポトは映画レポーター、シドニー・スコルスキーの言葉を引用している「マリリンはいつも助言を求めていたが、実際のマリリンは見かけよりはるかに聡明だった。ざらにいるブロンドの女優の卵ではなかった。気立てがよく、おじけていて、ほとんどの人が彼女の力になりたいと考えていた。その非力さこそが彼女の最大の力だった」。ジョニー・ハイドはマリリンのために「ライフ」新春号の特集に有望新人としてマリリンをだす手配をとりつけた。短い文章だがこうあった「彼女がただ立って息をしているだけで男たちは四方から群れてくる。アスファルト・ジャングルとイヴの総てで、端役とはいえピリッとした演技をみせた彼女は、フォックス社から優れた演技女優として将来を約束されている」マリリンの強い向学心は他を圧していた。だれかの二番手になんかなりたくないと手記に書き「人間だれしも生きていくうえで多少とも自尊心が必要だ」とある。フォックス社はマリリンをすぐれた演技女優にするつもりはなかった。マリリンは自分のセックスアピールの力をよくわかっていたし、女優の階段をのぼるはしごとしては充分な武器とみなしていた。しかしあまりに完璧なマリリンのセックスのほうが独立して、マリリン・モンローという独自の人格をもってしまった。マリリンは後年自分のことを「あの人」とか「マリリン」とか、三人称で呼ぶことがあった。スーザン・ストラスバーグは最初マリリンがだれのことをしゃべっているのかわからなかったと書いている(「マリリン・モンローとともに」草思社)。男性関係も女性関係も仕事関係もいっさいがっさいなにもかも含め、マリリンの身辺には一朝ことあれば修羅場に変じる危険なものがいつもただよっていたが、この映画のマリリンは思わずほっぺたを指でつついてみたくなるほど可愛らしく初々しい。無名のときのマリリンが出ているというだけで本作はD∨D化されている。

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