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特集「ディーバ(大女優)」

2013年2月12日

特集「ディーバ(大女優)」 マリリン・モンロー 
百万長者と結婚する方法(1953年 コメディ映画)

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監督 ジーン・ネグレスコ
出演 マリリン・モンロー/ローレン・バコール/ベティ・グレイブル

マリリンが新しい 

マリリン・モンローが生まれた1926年6月1日とは昭和元年だ。映画デビューした「嵐の園」公開の1947年昭和22年は戦後2年である。モンロー時代の1950年代は昭和25年から35年に当たる。東京オリンピックは昭和39年だった。昭和元年とは大正15年である。日本の元号で思いなおせば、昔といっていい時代にマリリンはいたのだ。それなのに新しいのはなぜだろう。映画をみるのに撮影技法や技術をもちだしてその作品を批評するのは確かに邪道だ。CGや3Dでもそのうちすぐ、あのときはこんな古い方法で撮っていたがマアよくできているねと言われるようになる。技術や映画のなかの風俗で古い、新しいを言ったところで、作品の価値を評価するなにほどの手立てにもならない。新しい映画とはどんな時代にも人を感動させる映画であり、大正生まれのマリリンが古くならないのも、マリリンが現代のわたしたちを感動させるものを備えていたからだ▼映画技術にふれたからついでにいうと、本作はフォックスのシネマスコープ第二作目で、オープニングから延々10分ほどもフルオーケストラの演奏を聞かされるのは、これこのとおりフルオーケストラの端から端まで切れずに画面におさまるのですよ、といいたいフォックスの自慢でしかない。いまから見直すとこういうシーンこそ一番に古くなっているが、だから技術の部分をあげつらってこの映画が古くてつまらないかというと間違ってしまう▼ジーン・ネグレスコ監督は「人生模様 警官と賛美歌」でマリリンと組み、本作のあとソフィア・ローレンの「島の女」やサガンの小説の映画化「ある微笑」など女性ものに強い監督だ。本作はニューヨークでモデルをする三人娘が百万長者を探す婚活。金持ちと結婚するにはそれなりの環境整備が必要として、高級アパートを根城にした三人。リーダー格がローレン・バコール。別荘フェチがベティ・グレイブル、近眼なのにメガネは男に嫌われると信じてヘマばかりするドジキャラにマリリン・モンローだ。ベティが連れてきた青年はひと目でバコールが気に入るが、みすぼらしい身なりの青年にバコールは一顧もあたえない。青年は懲りずに電話してくるがストーカーみたいに追い払われる。ベティもマリリンもそれぞれ金持ち(と思える)男をみつけるが、紆余曲折をたどって落ち着いたのはバコールが例のみすぼらしい青年、ベティは森林警備員、マリリンはアパートの持ち主フレディだった。三人はお互いの健闘をたたえ、それぞれの男たちを同伴で食事する。そのテーブルの席でバコールのみすぼらしい青年がじつはビリオネアだったとわかり三人は卒倒する▼罪がないといえば罪がない、アホらしいといえばアホらしいのだが大ヒットした。賢い映画だけが能ではないのだ。公開の1953年といえば昭和26年、戦後6年でまだまだ日本は焼け跡が残り、本土爆撃のなかったアメリカだって米ソ冷戦の激化、マッカーサーの赤狩りなどの時代だった。どこの国の男だろうと女だろうと、人は楽しい映画にリフレッシュを求めたのだ。スクリーンを席巻するのは三人娘のあっぱれというべきご都合主義だ。めざすは百万長者。そのためには男の品格がサイテーだろうと高齢だろうと無視。ローレン・バコールなんか「僕はあなたの若さの相手ではない」ていねいに遠慮しようという良識ある男性にしゃあしゃあと「熟年の男性って素敵だわ。ウィンストン・チャーチル、ルーズベルト、ボガード…」ボガードとは25歳年上の夫ハンフリー・ボガードのことだ▼この映画でマリリンは共演者に恵まれた。ローレン・バコールはマリリンの邪気のなさをすぐ見て取ったし、10年間ハリウッドのドル箱スターだったベティ・グレイブルは「もうわたしは成功を手にいれたわ。つぎはあなたの番よ」とやさしくマリリンを励まし「マリリンはマンネリだったハリウッドに現れた彗星のような刺激剤よ」と好感を表明した。テレビの普及による映画離れが進むなかでなんとか観客をくいとめようと、映画会社の講じた手段のひとつが大型ワイドスクリーンだった。成功したとはお世辞にもいえないが、本作のヒットは、女性にとっての不滅の婚活テーマをはちきれるようなパワーで演じた女優三人のエネルギーにある。マリリンは相変わらずおどおどしていたが覚悟がきまるとセットの雰囲気は一変した。キャメラがマリリンに恋すると言ったハワード・ホークスと同じことをネグレスコ監督も認めた「マリリンの表情こそが映画の言語だ。キャメラとの情交、密やかな情事だ」と彼は表現した。映画の公開後マリリンのもとには25万通のファンレターが届くようになった。マリリンは「フォトプレイ」誌の「若手最高人気女優」に選ばれる。相変わらず部屋を散らかし、本を読みスッピンにジーンズで町を歩くマリリンに、1953年6月26日がやってきた。モンローとジェーン・ラッセルはハリウッド・ブルーバードにあるチャイニーズ・シアターの前「成功の広場」で記念手形を押したのである。子供だったマリリンはここでスターたちの手形や靴型をみたことがある。それから20年。マリリンは27歳になっていた。日の出の勢いだった。このころがマリリンのいちばん幸福だったときのような気がする。

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