女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「ディーバ(大女優)」

2013年2月14日

特集「ディーバ(大女優)」 マリリン・モンロー 
ショウほど素敵な商売はない(1954年 ミュージカル映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ウォルター・ラング
出演 マリリン・モンロー/エセル・マーマン

マリリンの賭け 

1954年の1月マリリン・モンローはジョー・ディマジオと結婚し10月に離婚した。「ショウほど素敵な商売はない」の撮影中はふたりの仲が修復不可能になっているときだ。この映画はエセル・マーマンらドナヒュー芸人一家の物語を時系列につなぎあわせたミュージカルで、母親役のエセル・マーマンの貫禄や父親役のダン・デイリーの達者な演技でつないでいく。しかしマリリンとなるとクロークの受付嬢が歌手をめざし、ドナヒュー家の次男と純情な恋愛におちいり、最後に結ばれるという付け足しみたいな出演である。コテコテの衣装や舞台(まあそれはいいとしても)次男の失踪、長男の牧師転向、恐慌時代の不景気で苦心惨憺するかと思うと、あっという間にドナヒュー一家は人気を盛り返すなど、テンコ盛りの筋書きが過剰である。おまけにマリリンが挑発的な嫌味な歌詞で歌う。役柄では未来の姑にあたるエセルでなくとも眉をひそめる。これはマリリンの演技コーチの指示だというのだ。安い給料から自腹を切って自分専任のコーチを雇い、教えてもらっていたマリリンだった。映画界にはいったものの専門的な演技をどう勉強していいのか、あてのなかったマリリンの孤軍奮闘だった。がむしゃらにはいあがり、斯界の有名人が招かずとも寄ってくる名声を得たマリリンはこのコーチを解雇している。必要なときは取り込み必要なものを得ると切るのがマリリンだと見る人もいたが、マリリンを利用して食い物にする連中のほうが多かった。マリリンという「おいしい餌」にむらがるこの傾向は死ぬまで続く▼この時期、嫉妬深い夫の暴力に悩みマリリンは睡眠薬を用いるようになっていた。このふたりは2年間もの長すぎる恋愛期間のあいだにすっかり熱はさめていたし、マリリンが主婦という仕事に才能のないことは明らかだった。自伝の話がもちあがったマリリンは過去にあったことを正直に書くといって古い友人を驚かせた。そんなことをしてどうする。崩れかかった結婚生活に最後の一撃を加えるようなものだと友人はとりなしたがマリリンはウンといわない。コールガールをしていた時期のことも本当だから書くといいだす。恥ずかしいことではないし正直であるのはいいことだが、時と場合ってものがある…賢明な友人はライターと打ち合わせした。彼らは息のあった友人同士で、古い友人の意図を阿吽の呼吸で汲んだライターは、マリリン自身が納得し読者はなにげなく読み過ごしてしまうという絶妙の表現をひねりだした。幸か不幸かこの自伝はとりやめとなったが、マリリンがただの「正直」でなにもかも書けといったとは思えない。単純な夫が読めば逆上して、その足で離婚手続きに市役所に走ると踏んでいたにちがいない▼「ショウほど素敵な商売はない」のセットにふたりの客がマリリンを訪問した。中年の婦人はポーラ・ストラスバーグ。16歳の娘はスーザン・ストラスバーグだった。ニューヨークを本拠とするアクターズ・スタジオのトップ、リー・ストラスバーグの妻と娘だった。セットはちょうどマリリンが「ヒート・ウェイブ」というナンバーを歌い踊るシーンだった。スーザンは「マリリン・モンローとともに」でこう書いている。「テクニカラーの熱いライトにゆらめく彼女の姿が見えた。スターと呼ばれるひとたちには数え切れないほど会っていたし、何人ものスターと知り合いでもあったけれど、マリリンはまったく別の存在だった。光の輪に囲まれ燃える炎のように輝いていた。彼女の横に立つまではそれはライトのせいだと思っていたが、近寄っても彼女は彼女自身で輝きつづけていた。たまらなくセクシーなのに、とても無邪気に思えた。なぜそんなふうにできるのか、不思議だった」同じセットでジョー・ディマジオが見学していたが、セクシーなマリリンを仇のような目でにらみ、撮影を終えたマリリンが走り寄ってキスしようとしたら顔をそむけた。スーザンははっとしたがマリリンは「いけない、わたしメイクであなたのホホを汚すところだったわ」と健気にその場をとりつくろったことを書いている。ストラスバーグ母娘との出会いが翌年のハリウッド脱出につながる。「わたし大女優になるのよ」その夢をかたときも忘れたことはないのにスタジオからおしつけられる役は相変わらず、だれにでもできるブロンドのお気軽な女だった。マリリンはこう言っている「ものすごいペースで働かされ、つぎからつぎ映画に出演してきたの。同じことを何度繰り返してもチャレンジにはならないわ。女優としても成長したいと思っているのにハリウッドでは一度として意見を聞かれたことはなかった。何時に来いと言われるだけ。ハリウッドを離れてニューヨークに行けば、もっと自分らしくなれるような気がするのです。とにかく自分らしくなれなかったら、何になっても仕方ないでしょう」マリリンがやったことは28歳の女性がした実験としては、画一性と安定願望が国民の最大の美徳とみなされていた当時のアメリカ文化のなかで、大学生以上の年齢の人にまだ許されていなかった本物の自己探求だったとドナルド・スポトは「マリリン・モンロー最後の真実」で位置づけている。

Pocket
LINEで送る