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特集「ディーバ(大女優)」

2013年2月22日

特集「ディーバ(大女優)」 マリリン・モンロー 
荒馬と女(1961年 恋愛映画)

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監督 ジョン・ヒューストン

勇敢なマリリン 

よくこの映画が完成したものだと今でも思わずにはいられない。3年という準備期間があったにもかかわらずシナリオを毎日書き換えてばかりいるマリリンの夫(アーサー・ミラー)、ギャンブルにしか情熱のない監督、クラーク・ゲーブルもマリリンも毎朝届く書き換えられたセリフを覚えるのに疲れきった。監督はギャンブルにしか興味がなく、マリリンが「テレビに奪われた観客を取り返すには、検閲ばかり気にしていたらだめ」という的確な進言をしているのにとりあわなかった。マリリン扮するロザリンがゲイ(クラーク・ゲーブル)と初めて一夜を過ごした朝、ゲイが起こしに来る、シーツから半身をあげたとき豊かな左の乳房がポロっと覗く。ヒューストンはこれが検閲にひっかかるといい、マリリンは前述の意見を主張した。60年代、検閲は既に時勢に逆らえぬ「規制緩和」の時代に入っていた。マリリンのカンのほうが正しかったのである。ドナルド・スポトの評伝は、ヒューストンは撮影の予算オーバーはすべてマリリンの遅刻のせいだと撮影所に報告したが、事実は彼がギャンブルの借金を返すために映画会社から追加予算をひきだすほかなく、マリリンは格好の口実だったと指摘している▼映画が始まってまもなく、離婚の手続きを終えたロザリンとゲイが出会う。それからのこの二人、いや随所で交わされるセリフの哲学的というか衒学的というか、西部の流れ者の老カーボーイと男に懲り懲りした酒場の女は、こんな面倒くさいやりとりをふつうするものだろうか。アーサー・ミラーはこれが映画だということを忘れている。彼のセリフはすべて舞台用で、しかもマリリンの身の上にあてつけた内容ばかりだ。たとえばこうだ「わたしはいつも振り出しにもどるの。見よりもないしひとりぼっち。お母さんはいつもいなくなる人よ。ママが恋しいわ。高校も中退して友達もいないの。あなたは唯一の女友だちよ」ゲイとの会話では「この町外れに何があるの」とロザリン。ゲイ「自然さ」「何をするの」「生きるのさ」「どうやって」「寝たいだけ寝て目覚める。体を掻き、卵を焼き天気を見る。石を投げ口笛を吹く」ふーん。ゲイの友人のギド(イーライ・ウォラック)は妻を失くしたばかりだ。妻のことを「信じやすい女だった。不思議な女だよ。ネンネのように世間知らずだと思うと、ガラリ変わる。特別な女だった」(ほとんどミラーのマリリン評である)。まだ続く「かげでおれをしっかりささえてくれた」ミラーの願望であったろうが現実は「それが命取りね。女の方は息抜きできなかったのかも」とロザリン。さらに「奥さんはあなたが踊りが上手なことも知らずに死んだのね。心が離れ離れだったのね。みな死に向かって生きているわ。夫も妻も。刻一刻ね。なのに知っていることを教えあわない」こんなセリフをいちいち言わなくちゃいけないマリリンは「わたしに対するアーサーの復讐よ」と心を許すスタッフに打ち明けていた。劇中ロザリンが唯一の女友だちと呼んだ下宿屋のおばさん(セルマ・リッター)には「すぐ何かを期待するのはやめたらどう?」とマリリンの信じやすさと依存癖をずけずけ指摘させている。少しでも事情を知っている者がこの映画をみれば、マリリンとアーサーの結婚がもう修復しがたいまでに決裂しているのは明らかだった▼マリリンがリー・ストラスバークのアクターズ・スタジオで演技の勉強を始めたときこんなことをいっている。「そうすれば年をとってセックス・シンボルを売りにできなくなっても性格俳優として演技していける」彼女は真摯に自分の将来をみつめていた。年を取ることをいやがり、いろんなサプリや注射をしてはいたが、だから女優ができないとは考えていなかった。年を取ったときにやれる方法を20代ですでに計画していた。それなのに金髪のおバカ像はつきまとい、マリリン・モンローという完璧なまでに自分でつくりあげたイメージがだんだんお荷物になっていたのがこの時期だ。「荒馬と女」はそんなマリリンの希求に応えた映画になっているか。なっていませんね。つまり夫アーサーがとらえた妻マリリンはあくまでこんな女ー情が深いだけで男の仕事を理解せず、肝心なときは泣きわめきコブシをふりまわし、男はあきらめるか、途方にくれてさじを投げる(映画ではそうなっている)…マリリンはこの脚本でアーサーの自分に対する理解の限界を思い知った▼撮影地ネバダ砂漠の灼熱、結婚の破綻による失意、アタマにくるシナリオ、いい加減な監督、投げ出したいのはマリリンのほうだったとしても不思議はない。過密なスケジュールで彼女は働きづめに働いた。マリリンは親しい記者にこう言っている「わたしは週6日働くことになっているの。働き過ぎなんてものじゃないわ。消耗した体力や気力を回復するのに2日はかかるのに。前にも週6日働いたことがあるけど若かったからできたのよ。わたしは34歳よ」マリリンがどんな過酷な条件でも投げ出さなかったのは、ファンを裏切りたくなかったことと、仕事が好きだったからだ。彼女の精神と感受性をいためつけた荒々しい現実が仕事だった。同時にマリリン・モンローに生きる活力と希望と名声とすべてを与えたのも仕事だった。彼女は仕事を愛していた。マリリンが勇敢に打ってでようとしていたとき、でも残された時間はあと1年しかなかった。

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