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特集「ディーバ(大女優)」

2013年2月23日

特集「ディーバ(大女優)」 マリリン・モンロー 
ラブ・ハッピー(1947年 コメディ映画)

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監督 デヴィッド・ミラー
出演 マルクス兄弟/マリリン・モンロー

またあう日まで 

「シネマ365日」がまだ始まらないときから「マリリン・モンローはいつ(ディーバ・シリーズに)出るのか」というお便りをいただき、来年には、と答えたもののあっという間にその1年がすぎ、まだマリリンは登場しませんでした。はたして「マリリンはディーバ(大女優)ではないと思っているのか」と非常に不満のこもった質問があり「来年には」とまた答えました。今年がその「来年」にあたりました。マリリンの資料を読み始めて約2年。とんでもない女優に当たってしまったと一方で行き暮れながら、他方でマリリン・モンローという女優がなお好きになり、同時につらくもなりました。マリリンが「ナイアガラ」で主演した1953年から公開された映画から遺作となった「荒馬と女」まで、ざっと各年のアカデミー主演女優賞とその作品をみました。53年「ローマの休日」オードリー・ヘプバーン。54年「喝采」グレース・ケリー。55年「バラの刺青」アンナ・マニャーニ。56年「追想」イングリッド・バーグマン。57年「イヴの三つの顔」ジョアン・ウッドワード。58年「私は死にたくない」スーザン・ヘイワード。59年「年上の女」シモーヌ・シニョレ。60年「バタフィールド8」エリザベス・テイラー。61年「ふたりの女」ソフィア・ローレン▼みごとといっていいほどシリアスな内容です。かろうじて「ローマの休日」がありますが、これとて同年の作品賞は「地上より永遠に」のバリバリの社会派でした。こんな偏った業界の価値観のなかでマリリン・モンローという素材がケタ外れに異質だったことがわかります。ヒツジの群れに投げ込まれた火の鳥が、自分の翼に気づかず地上をうろうろし仲間はずれにされているような図が浮かびました。業界人の同情をひくためマリリンはほとんど意識せず作り話をしましたし、そうみじめでもなかった子供時代を極貧のようにいい、強姦もあったと言い、母親が精神病院で生存しているのに孤児だという身の上にしました(だから母親の存在をひたすら極秘にしていました。それに罪悪感を感じてはいましたが)。食事代のためには客も引いたし男に(仕事関係で重要な位置にいるのはみな男だった)気に入られるためには寝もしたし、ヌードモデルになって稼ぎもしました。そのカレンダーはいま見ても、男も女もほれぼれするにちがいありません。健康な美しい子鹿のような若い女が無邪気であどけない笑顔をみせています。これのどこがいけないのだろう。マリリンがわたしの母であり娘であり妹であり姉であったら、このカレンダーを自分の部屋に飾りともだちにみせびらかし、もしごちゃごちゃ言われたら、くやしかったら脱いだらどうだと言ってやったと思います▼マリリンがワン・パターンのコメディ映画に出演しているとき、ヨーロッパでは「新しい波」が席巻し、ブリジッド・バルドーは革新的な監督のもとで女優としての新しい試みを「素直な悪女」や「真実」で試し、ジャンヌ・モローは「死刑台のエレベーター」「恋人たち」でヌーベル・バーグのイコンとなっていました。議論が苦手なマリリンはこみいったコメントをだしたことはありませんが、現にオスカーにさえ、ヨーロッパからソフィア・ローレンが、シモーヌ・シニョレが進出してきた事実に、これからの映画、自分に名声を与えてくれた大衆が求めるこれからの映画を考えなかったはずはありません。マリリンは最後のインタビューでこんなことを言っています「わたしは美術品をつくるように仕事しようと努力しているの。どこかの工場で製品をつくるようにではなくて」(完全にハリウッド方式へのあてつけだろう)。またこうも言っています「芸術家と女優として調和のとれた人間になりたいわ」ここでマリリンが意味する調和とは。自分の独創した「マリリン・モンロー」との決別であり、しかもそれに代わる「新生マリリン・モンロー」の創生によってバランスをとること以外ありません。それについてどのような「美術品をつくるような仕事」のイメージをマリリンは描いていたのでしょうか。ひとつ思い当たることがあります。彼女が「わたしが誇りとするに足るものがあるとすれば、どんなときにも囲い者とならないで生きてきたことです」と語っていることです(グロリア・スタイネム「マリリン」)。マリリンの最大の不幸と悲劇は「自立する女」を認めようとしなかった時代と社会のなかで、彼女が自立を誇りとして生き、冷笑され笑いものにされたことでした。それを乗り越え、だれにも口出しさせない大スターとしての地位を確保し、これから望む仕事にとりかかろうとし「わたしには未来があるわ。楽しみで仕方ないの」と語っていた矢先の死でした。自殺でなどあるはずがありません▼「ラブ・ハッピー」はマリリンが23歳のときの映画です。わずか2分ほど、いきなりドアから入ってきて一言か二言のセリフで追い出される正体不明の若い女の役でした。出ていく後ろ姿がなつかしいほどのモンロー・ウォークであることもさることながら、半開きのドアから半身を垣間見せた時のオーラはまぎれもなくマリリンでした。リー・ストラスバークがマリリンの出現を「白毫のごとき光を放ち」と例えていたのを読んで「金づるマリリンに目を射られた貧乏父さんの感動」と思ったことをちょっと反省しました。とにもかくにも約2年に及ぶ「マリリンの旅」は終章にきましたが、マリリン・モンローのトバ口にすぎない気もします。もう少しましなことを書いて、いつかマリリンの墓へ報告できたらいいけど。今日までつきあってくれてありがとうマリリン。またあう日まで。

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