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シネマ365日

2013年2月25日

ジャスト・ア・ジゴロ (1978年 社会派映画)

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監督 デヴィッド・ヘミングス
出演 デヴィッド・ボウイ/キム・ノヴァク/シドニー・ローム/クルト・ユルゲンス/マリア・シェル/マレーネ・ディートリッヒ

繊細なジゴロ 

 欲望を油抜きしたようなデヴィッド・ボウイが特色ものです。中性的で献身的で、生ける屍のようになった軍人の父に「お父さん、僕はたかがジゴロだけど、もう一度戦争になったときは銃を取って戦うよ」と宣言する。そんな真面目で真摯な、でも敗戦で生きる手応えを見いだせない誠実な青年を好演しました。もともとボウイの感受性というのは、普通以上に繊細な青年の役をやるとしっくりくるのでしょうね。彼はこのとき31歳だった。36歳のときの「ハンガー」では老化した吸血鬼の最期という超常現象を演じています。1978年といえば「帰郷」「ディア・ハンター」「ミッドナイト・エキスプレス」「天国の日々」など、ベトナム戦争や第一次世界大戦、中東の抗争を背景にした社会派の重い作品が世にでました。この2年後ソ連はアフガニスタンに侵攻し、日本やアメリカはモスクワ・オリンピックをボイコットするなど、一方に解体に向かうソ連があれば、一方にはバブルを準備する仕掛けにみちた経済がふくらみつつありました▼監督のデヴィッド・ヘミングスは25歳のときミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」に主演しています。本作では俳優としてボウイにからむ政治結社のリーダーを演じましたが、陰気で暗い屈折した存在感は相変わらずです。そもそもこの映画の舞台は第一次世界大戦後のベルリン。敗戦のショックで混乱するベルリンにエリート将校だったポール(デヴィッド・ボウイ)が帰還します。彼の父は大佐であり、最高の軍人たるべき教育を受けたポールは、鍋の中身をぶちまけたような世間の騒乱に自分の居場所を見いだせません。貨物列車に乗り家畜とともに帰郷した彼は、おみやげにミニブタを抱いていました。自宅は収入源確保のためペンションに改造され、自分の部屋がなくなっていることにポールは腹をたてますが、叔母はそんなポールからどうやって子豚をとりあげ売り払おうかと懸命。母親(マリア・シェル)は大型銭湯で床磨きをしていました。喜びにあふれ無事にもどった息子を抱きしめます。幼馴染のシリー(シドニー・ドーム)は場末の踊り子をやって元気いっぱい。女たちはやっと終わった戦争にはつらつとしていますが、冴えないのがボウイ▼戦争の疲れがとれないのだよ、と母や叔母は理解を示しますが若いシリーは疲れもヘチマもない。強引にベッドに押し入りボウイに迫るが彼は全然その気がない。ポールの以前の連隊長ヘルマン(デヴィッド・ヘミングス)は、性的関心からポールを追い回す。しかしポールの情熱は燃え尽きてしまっている。富豪婦人ヘルガ(キム・ノヴァク)との情事にも彼は大真面目に取り組む。同棲までしてしっかりおつきあいしているのに、女が不満そうであることが理解できない。女なら笑ってしまうだろう。ポールは律儀にセックスしてはいるが、日程消化みたいな熱のない行為が女は気にいらないのだ、ということがポールは気づかない。ある日ポールはジゴロが集まるバー「エデン」の経営者セマリング男爵(マレーネ・ディートリッヒ)に紹介される。彼女はジゴロ連隊の連隊長である。その日から働くことにしたポールは、ジゴロとして生きていくことを決める。ポールを愛するシリーはハリウッドに進出し、貴族(クルト・ユルゲンス)と結婚をきめたもののポールが忘れられない。今までのつれない仕打ちにもめげずポールを口説く。彼は相変わらず親切で、いうことはこうだ「会いたくなったらエデンに来てくれ。電話してくれたら予約もできる」「今夜だけでも夫婦のつもりでいてよ」「仕事は抜けられないよ」もはや女はお手上げだろう。しかしこの感受性の鋭い青年がキム・ノヴァクとタンゴを踊るシーンは必見だ▼黒いドレス、黒い帽子、黒いベールで顔をつつみ、椅子にこしかけたディートリッヒは終始無言だ。77歳だった。カサが低くなり背がちぢんだような気がするが、声はひとつも変わっていなかった。しゃがれた低い声である。「ニュールンベルグ裁判」から17年。本人は自伝で「ニュールンベルグ」以後二度と映画にでなかった、と明言していたのでそれを真に受けて本シリーズの「ディーバ」を書き、あとであわてたことがある。自伝をまちがうなんてとあきれたが、考えてみれば彼女は自伝を出版したのちこの映画に出演したのだ。本作での出演時間はわずか数分だが、見せることを知り尽くした女優には充分だった。ときどき分析することが無駄だと思える俳優がいる。男にも女にもいる。ディートリッヒなんか最たるものだ。彼らの最も大きな共通項をひとつだけあげよ、といわれたらこれ「完璧な自己完結」だろう。かれらは自若として満ち、だれもなにも必要としない。監督は出演のオファを受けたディートリッヒへの敬意にこのシーンをとったのだろう。だれもいないエデンにポールがくる。ピアノ弾きがひとり演奏している。そのフロアにディートリッヒが現れ歌うのだ「たかがジゴロ/どこでもみなが知っている/ダンスを売りロマンスを売り/毎夜だれかを泣かす/いつの日か若さが去ると/人はなんというだろう/決まっているさ/たかがジゴロ/死んでも惜しまれはしない」これが遺作です。

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