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シネマ365日

2013年3月13日

特集「男の顔 チャールズ・ブロンソン」 荒野の七人 (1960年 西部劇映画)

監督 ジョン・スタージェス
出演 ユル・ブリンナー/スティーブ・マックウィーン/チャールズ・ブロンソン/ホルスト・ブッフホルツ/ジェームズ・コバーン/ブラッド・デクスター/ロバート・ボーン

西部劇の新潮流

 七人のガンマンの公開当時の年齢をみてみよう。ユル・ブリンナー40歳、スティーブ・マックウィーン30歳、チャールズ・ブロンソン39歳、ホルスト・ブッフホルツ27歳、ジェームズ・コバーン32歳、ブラッド・デクスター43歳、ロバート・ボーン28歳。男性ホルモンがギラギラ沸騰している顔ぶれである。ブリンナーの精悍。マックウィーンの軽妙。ブロンソンの寡黙。ブッフホルツの若さ。コバーンの鋭さ。デクスターの灰汁(あく)。ボーンの陰影。こういった男たちのキャラがひとつも古くなっていない。ユル・ブリンナーは「七人の侍」をみてたちどころに全権利を買い取るよう東京の弁護士に指示をだした。キャスティングもブリンナーが決めた。当時無名に近かったマックウィーンやブロンソン、ジェームズ・コバーンは彼の選抜である。本作以後のかれらの活躍を考えればブリンナーは炯眼だった▼しかしもういちどこのキャスティングをみてみよう。だれしも頭をかかえないだろうか。演技でもセリフでも一家言ある連中といえば聞こえは良いが、映画は「七人」であってもホントの主役は自分だと自己主張している男たちばかりだ。ジョン・スタージェスは「大脱走」など男の映画で定評がある監督だ。目立ちたがりの男の扱いには慣れていただろうが、それでもマックウィーンは監督の指示もないのに帽子でパタパタ扇ぐ、柵にもたれているとき帽子をくるくる回すなど、セリフも動きもなければ帽子を動かして自分の位置を目立たせるという仕草でブリンナーを怒らせた。ブリンナーはブリンナーで弱みがあった。彼は七人のガンマンを面接試験するシーンで、ホルスト・ブッフホルツの早打ちをテストするのだが、ピストルを抜くのは全然早くなかった。仕方がないからブッフホルツはブリンナーがピストルを抜くのにあわせて両手を「パチン」とやった。アクションの筋金入りはジェームズ・コバーンだ。柔道は黒帯、来日時には講道館を訪問し格闘技はブルース・リーに、演技はステラ・アドラーに学び「白い刻印」でアカデミー助演男優賞を受賞した本格派だ。ブッフホルツは戦後ドイツ映画界の生んだ国際俳優だ。「ドイツのジェームス・ディーン」などと言われたときもあったがそれにとどまらず、映画・テレビに幅広く出演し「ライフ・イズ・ビューティフル」(アカデミー外国語映画賞)では医師を演じて往年の名俳優の貫禄を示した▼「七人」のガンマンたちもつぎつぎ鬼籍に入った。マックウィーンはわずか50歳で肺ガンのため逝った。ブリンナーはその5年後65歳で没した。ブッフホルツは69歳だった。山師みたいに「金の鉱脈」があると最後まで信じ盗賊に撃たれたときも「鉱山は見つかったか」とブリンナーに聞き「見つかったぞ、すごい儲けだぞ」とブリンナーが思いやりの嘘をつくと得心して腕の中で死ぬ、そんな役だったブラッド・デクスターは85歳だった。コバーンは74歳。ブロンソンは81歳である。「七人」のうち今も元気で活躍しているのはロバート・ボーンただ一人になった。彼は「七人」のあと「ナポレオン・ソロ」や「刑事コロンボ」で名をあげた▼さてわれらがブロンソンであるが、村の子供たちに好かれる無口な男という設定である。女の子に笛を作ってやり、男の子たちを叱りつけるおじさんである。「父親のことを二度と卑怯だなんて言うな。お前の親父はおれみたいに銃を持たなくても責任感のある勇敢な人だ。家族全員を守っている。親父たちはみな重い責任を負って墓に入るまでそれを守り続けているのだ。人に言われてやるンじゃない。お前たちを愛しているからだ。オレにそんな勇気はない。毎日畑でラバのように汗を流して働くことこそ本物の勇気だ」とむきになって教える▼「七人」が古くならない理由のひとつは、こういう「聞かせるセリフ」が随所にあることだ。ユル・ブリンナーは「ガンマンなんて家族も子供も帰るべき家もない。ゆっくり落ち着くところもなければ自分をひきたててくれる人もいない。腹をわって話せる相手もいない」とひとりごとのように言う。マックウィーンはこうだ「サボテンの中に飛び込んだ男がいた。なんでそんなことしたのだときいたら、面白そうだったから、だってよ」。彼らは役をマスターするために劇中の農民たちのように射撃の練習をした。拳銃をかまえ撃鉄をあげて撃つ。ガンマンらしい一連の動作を習得するのに余念がなかった。ロケはメキシコ・シティの近くのクエルナバカの砂漠にセットを建てて行われ、撮影が進むにつれうちとけ仲よくなった。ユル・ブリンナーは撮影中に結婚式をあげた。本作が西部劇の名作とされるのは、後代に与えた影響の大きさがある。先のユルのセリフのようなガンマン像の孤影はセルジオ・レオーネに受け継がれ「荒野の用心棒」となって結実する。西部劇の新しい潮流マカロニ・ウェスタンの開幕だった。