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シネマ365日

2013年5月22日

刑事ベラミー (2009年 ミステリー映画)

監督 クロード・シャブロル
出演 ジェラール・ドパルデュー/マリー・ビュネル/ジャック・ガンブラン/クローヴィス・コルニヤック

清澄の海

 この映画でいちばんシャブロルらしい、というか、シャブロルがもっとも関心をもって描きたかった人物というか、シャブロルがなんにつけ取り上げてきた一生のテーマというか、それはこのなかのだれで何だろう。今までみてきたシャブロルの映画を思い出しながらそんなことを考えた。見た限りの彼のどの映画にもあるせつなさ、やりきれなさ、そうだよね、これでけっこう人生ってつらいことがあるのだよな、などと思いながらいつのまにか感情は鎮まりおだやかになっている。それがシャブロルだった。だからシャブロルの映画はみたくなる。荒れた海や川がいつかもとにもどるように、さんざん人を傷つけた呵責ない現実も、いつかおだやかな日をもたらす。彼の映画にある不思議な静謐感は乾いていているがじつに、じつにやさしい。このめだたないやさしさがシャブロルの映画の通奏低音に流れていて、それがきこえてしまうと仕方なく彼の映画にもどる。またあの風景をみたくなって同じ場所にもどるのと似ている。シャブロル仕様ともいえる仕様でほとんどの映画は語られてきた。本作も例外ではない。舞台は地方の小都市、筋書きはドラマティックでなくローカルな地元に住む住民の、某がふらりとスクリーンに現れる。たいてい殺人事件か田舎ではショッキングな事件が発生するが、シャブロルの興味は犯人探しにはない。もともとミステリーは大好きだし、人間なんか最たるミステリーであるうえ、殺人や刑事事件や不倫や不仲とくればもってこいだ、なににもってこいかというと、そのはらわたの捌き方に腕がふるえること。はじめからシャブロルはそう狙っている。それが監督として映画をつくるいちばんおもしろい方法だとガンとして疑ったことがない。映画人生の始めから終わりまで、自分のおもしろいことしかしない監督だった、彼はね▼物語の発端はこうだ。海辺の町。黒焦げの死体。死体のそばにこれまた真っ黒になった首。ぎょっとしているとスクリーンは一転、ベラミー(ジェラール・ドパルデュー)と妻フランソワーズ(マリー・ビュネル)が居間でのどかに会話する。テレビには保険金殺人のニュース。妻はちらっと夫をみる。折角の休暇なのに夫を事件に巻き込まれたくない。上々の出だしだ。見知らぬ男ノエル(ジャック・ガンブラン)が訪問しベラミーは「興味がある」と指定されたモーテルにでかける。ノエルは一枚の写真をみせ、その男を殺したと告白する。ベラミーは帰宅して「でたらめのガセネタさ」と放っておくことにする。ベラミーは回顧録もだす名士だ。腹違いの弟ジャック(クローヴィス・コルニヤック)が訪れしばらくいさせてくれという。森林事業とか先行投資とかおよそ根拠のないビジネスをもちかけた。彼は刑務所からでてまともな仕事につかず、妙な儲け話をもちだしてベラミーを困惑させるのは相変わらずだ。ベラミはなにかひっかかるのか、ノエルの妻のもとに行き家に飾ってある写真をみてだれかときくとエミール・ルレだと言う。ノエルと名乗った男はルレだった。彼は整形していたのだ▼事件に並行して弟ジャックの話が進む。本作でシャブロルが描きたかったのはむしろ彼だろう。幼少時は可愛らしくだれからも愛される弟をベラミーは嫉妬した。ある日思わず弟の首を締め、祖父が入ってこなかったら殺すところだった。弟はグレて前科者になってしまった。ベラミーは弟に負い目がある。粗野な弟だが、親の愛情を知らずたよりにするのは異父兄だけだ。ベラミーにも「血をわけた家族」という肉親の思いはある。どうかしたやりとりにシャブロルは血のつながりとしかいえない男兄弟の親しみをうまくだしている。たとえば夜更けに散歩に行こうと兄がいい、そんな趣味などない弟が気軽についていく。学校にはろくに行っていないがうまれつきの育ちと頭のよさがあり、感受性は繊細だ。妻は弟に親切だ。ある日ベラミーが帰宅して「帰ったぞ、フランソワーズ」と呼ぶのに答えがない。不安になって二階をのぞくと上半身裸体のジャックと汗ばんだ妻が部屋からでてきた。ベラミーの嫉妬はかきたてられる(弟は服をきがえ妻はシーツをとりかえていたのだが)▼このジャックであるが彼は自分が家族からはみだした余計ものだということがわかっている。兄は親切にしてくれるが本当は家にいてほしくないこともわかっている。兄嫁は聡明できれいな女性だが、これ以上そばにいるのはまずい。唯一自分を愛してくれた母親に死なれ、愛を乞える対象も愛を与えるそれもみいだすことができない。欠如感のかたまりみたいな青年のやりきれなさ、さびしさ、せつなさがこの映画の背骨だ。人生とはこの青年が体現している感情の劇だ、シャブロルのそんな独白を基調にして、セコい保険金詐欺も裏切りも愛情も死も叙述されていく。裏返していえばジャックの抱く感情に縁のない幸福感も不幸感もインチキだ、どう言葉にしようとしてもいいきれないものをだれしもかかえ、耐えている。そう思わないか、とシャブロルはきく。目に見えぬ別の物語が必ずあるというオーデンの一句で映画は終わる。エンディング・クレジットのむこうにはただただ、水平線しかない海が映る。本作にあるセートの墓地はポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」の墓地であり、彼の墓もそこにある。この詩人は地中海に面した明るい海辺の町が好きだった。目に見えぬ別の物語もさることながら、ヴァレリーの詩の透徹した清澄感もシャブロルの最後の映画には似合ったような気がしている。