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シネマ365日

2013年6月5日

人生の特等席 (2012年 ヒューマン映画)

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監督 ロバート・ローレンツ
出演 クリント・イーストウッド/エイミー・アダムス

清澄であること 

 どこを切っても「イーストウッド」が出てくる金太郎飴だな。観客がさわやかな気持ちになって映画館をでることができる、映画作りの配慮が満点のいい後味です。イーストウッド映画で娘との結びつきっていうのは案外多いのよね。「タイトロープ」では男手ひとつで娘ふたりを育てる父が、捜査に疲れて帰宅し、ソファに倒れこんでいるのをみて姉娘が毛布にくるんでだきしめる。この役は実娘アリソンが演じました。「目撃」で泥棒役のクリントはひとり暮らしの娘の住まいに忍び込み、まともにメシ食っているのか冷蔵庫をあけて確かめる。中はほとんどカラッポ。なんたるこった。ある日娘(これが「ミスティック・リバー」や「エイミー・ローズ」のローラ・リニーです)が冷蔵庫をあけると栄養のある食べ物・飲み物がぎっしり。最高はスクリーンに一度も姿を現さない娘に手紙を送り続ける父「ミリオンダラー・ベイビー」でしょう。モーガン・フリーマンが「君のお父さんはそんな男だったのだ」という切々とした独白で締めくくった映画です▼父と娘、あるいはスポーツとか、親子の絆という切り口からみると「ミリオンダラー・ベイビー」とか「インビクタス」とか「チェンジリング」の胸がしめつけられる奥深さや感動にとてもこの映画はかなわない。かなわないけれど「そんなこといわんでも、これはこれでええヤン」と満足するものをきちっと観客に与えているところがニクイですね。ちょっと誇張しすぎだろ、と思うのですが朝のトイレでなかなかおしっこがでにくいとか、車庫出しするときにこすりまくるとか、家の中で椅子につまずき、イラついて椅子を思い切り蹴飛ばすとか、目がかすんで球筋がとらえられないとか、これでもかというくらい老残のシーンをみせてくれるのですが、クリントは自若として年齢に逆らわない自信を示す。それは自分のスキルに対する冷静な見極めであって、彼は決して人になにかを「わかってくれ」と一言も言っていない。彼は終始、自分でボールがミットに入る音をきき、バットにあたる音をきき、それによってくだす判断を述べるだけだ。自分が「まだまだやれる」とか「もうだめだ」とかそんなことは余事なのである。とても澄んでいる。この清澄さが彼の代表作のすべてを貫く軸だ。一言でいうと彼が演じる主人公は雑念がないのである。犯人逮捕もしくは射殺に全力をあげるハリー・キャラハンがそう、頼まれた仕事をはたし黙って去っていくガンマンがそう、働くだけ働いて潮時がきたら田舎にひっこむ古参兵、挫折した宇宙の夢実現に68歳だろうと何歳だろうと「やろう、やろう」と突っ走るオッサンたち▼クリントがもっとも力を発揮したのはそんな男たちだった。「ミスティック・リバー」や「ミリオンダラー・ベイビー」は夢や希望が無残に散る敗北を扱っているかもしれないが、彼らの挫折や敗北は現実の過酷さに、翻弄はされながら出しきるだけの力をだしたあとである。しかし「インビクタス」からこっち「ヒア・アフター」にせよ「J・エドガー」にせよクリントの詩情は影をひそめていた。マット・ディモンやレオナルド・ディカプリオというビッグ・ネームを使いこなすだけの「魂の芯」のないつまらない映画だった。そう思えば本作は久しぶりにクリント本来の清澄さが主人公に反映して(ほれほれ、そこだそこだ)と言いたくなる。でも映画ははっきりいって退屈だった。娘との確執もイマイチ説得力がないし、娘が恋愛する男も、こんな飲み込みの悪いやつのどこがいいのかよくわからない。映画のエンジンがかかるのは後半それもラスト近く、クリントの演じ慣れた作劇術の落としどころにきてからだ。具体的にいえばパソコンオタクのスカウトが、ゼネラルマネージャーに「ファイヤー!」(クビだ)と一蹴されるシーンの前後だろう。けっこう、けっこう。ビヨンセが降板して主演女優が宙に浮いている「スター誕生」はどうなったのだろう。余計なことだがコンセプトからいえば「エドガー」や「ヒア・アフター」よりこっちのほうがクリントの監督にはむくような気がするのだけど。

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