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特集「ディーバ(大女優)」

2013年6月9日

特集「ディーバ(大女優)」 シガニー・ウィーバー エイリアン3 (1992年 SFアクション映画)

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監督 デヴィッド・フィンチャー
出演 シガニー・ウィバー/チャールズ・S・ダットン

女のステレオタイプを打ち壊した新しさ 

 映画史のターニングポイントをつくった記念碑的映画と主演女優に敬意をこめ、また本作以後の女優活動になんの衰えもないことから「ディーバ・シリーズ10」をシガニー・ウィバーに決めた。映画史という狭い範疇をこえて「女のステレオタイプを打破した女」にだれがいるだろう。すぐ思い当たるのはこの女性エカチェリーナ2世だ。マゾヒズムの作家マゾッホは彼の短編「カテリーナ2世」でヒロインにこう言わせている。「この世の強者には悪徳は許されるが弱さは許されない」。女とは受容し忍耐し従属するものであるという支配側にのみ都合のいいマゾ的定義に、多少の疑問はあってもしぶしぶ従ってきた女たちのうちの一人が、ある日100%攻撃する女に生まれ変わったのが「エイリアン」だった。それまで普遍的だった女のマゾヒズムとステレオタイプを粉微塵にした導火線として現れたエイリアンは、正義と良識のスーパーマンでもなければ天才的科学者でも異能の火星人でもなく地球上の男でも女でもない。エイリアンとは悪徳と残忍と暴力の限りを尽くす完全悪の無敵生物だ。それに対抗するためには悪徳も残虐も暴力も備える「許されるべき強者」に生まれ変わらなければならなかった。そういうコンセプトのもとにリプリーの創られたことが「エイリアン」の新しさだった▼ということで本作「3」に入ろう。それにしても暗いな~。デヴィッド・フィンチャーは得意な映画空間として鋭角的な環境をつくり、雨をふらせ、光を制限し、陰気なうえに酸欠しそうな映像にするのが大好き。それがこの映画では刑務所となった惑星「フューリー」に居残っている20数人の囚人と、溶鉱炉というわけか。鉄を溶かす高炉を囲む壁にはなぜか日本語で「鉄」と書いてある。宇宙の果ての刑務所惑星の囚人の職場に、なんで〈鉄は国家なり〉みたいな日本のイメージがあるのだよ。英語でもドイツ語でも中国語でもアラビア語でもよかっただろ。フィンチャー、これはどういう意味だ。だいたいこのあたりから「エイリアン3」は今までの「エイリアン」とちょっとちがうじゃないのかという「?」が生じてくる▼お話全体がどことなくおとなしい。フィンチャーはリドリー・スコットやジェームズ・キャメロンとはまったくセンスの異なる映画にしたかったにちがいない。まず出没するエイリアンは一匹に制限した。したがって宇宙船内のどこかに潜むエイリアンの出場はあくまでミステリアスである。宇宙の怪物なんてバカなことをいうなと訓戒を垂れる刑務所長が、エイリアンのタコみたいな長い脚で天井に巻き上げられ、ぐちゃぐちゃにつぶされて落ちてくるが、怪物はだからといって全身を現すわけではない。つまり前二作の監督がみせた、これでもかというエイリアンの集団暴行はないのだ。それに、ま、これがあったから「エイリアン4」につながったのですが、リプリーが感染しますね。エイリアンは数時間後に「女王」を産むはずの身になったリプリーを保護する。ひらべったいぬるぬるしたアタマを近づけて「くんくん」どこに鼻の穴があるのかわからない顔で匂いをかぎ、身を翻して去る。今までとどこかちがうなあと思った理由のひとつは、たぶんエイリアンが守りを見せたところを垣間見せたからです▼囚人たちのリーダーであるディロン(チャールズ・S・ダットン)が、エイリアンをおびきよせたリプリーに先んじて、どろどろの鉛を浴びてエイリアンともども溶鉱炉に飲まれる。犠牲者も多かったがとにかく何人かは生き残った、と思う間もなく焼けただれた鉱炉の中から怪物は跳躍して異形の姿を現す。ここでも「?」なのだけど、いちばんのクライマックスをどうして「ターミネーター2」の二番煎じにしたのでしょうね? この映画でなにが印象に残ったかというと結局シガニー・ウィバーの一休さんみたいな坊主頭でした。それでなくともアタマが小さいのに。ざっくりした囚人服を着た全身像が逆光のシルエットで撮ったシーンは、この監督には珍しいピン・ポイント的映像でした。アタマを剃って家に帰ったら、二歳だった娘が泣きだしたと後日シガニーはおかしそうに話しています。  

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