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特集「銀幕のアーティスト」

2013年7月7日

特集「銀幕のアーティストたち」 バード (1988年 伝記映画)

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監督 クリント・イーストウッド
出演 フォレスト・ウティカ/ダイアン・ヴェノーラ

最高の礼儀 

 最も信頼される映画批評家にしてクリントの仇敵だったポーリン・ケイル(1919~2001)が「クリントは電気代を払っているのかしら」と皮肉ったのが本作。あまりにも暗いからだ。クリント・イーストウッドの映画で本作ほど暗いものはほかにないですね。「バード」を撮ったときクリントは58歳だった。これからどんな映画を撮っていくのか、明らかに壁にぶつかっていた。ベッドシーンでかつての美しかった肉体を露出するにはちょっとしんどいものがある、という意味ではないのです、そんなこと本人がいちばんよく知っていた。まあいくぶんそれもあるかな(笑)。しかしもっと大きな理由は映画作りのコンセプトというか、軸足というか、自分の得意なフィールドの再構築だったと思える。逆回答になるが彼が60歳になったときにつくった「許されざる者」をみたら、クリントが当時これからどんな映画をつくっていこうとしていたか羅針盤が見える。つまりヒーローはいない、大事件もない、ありふれた日常の流れのなかに物語を見出す、プロセスの推移に時間をかけ現実をみつめる、結論を決め付けない。「ミリオン・ダラー・ベイビー」にしても「ミスティック・リバー」にしても「家族」という日常の設定が大事な構成要素だった。「エドガー」は男の一代記を丁寧に書き起こしたものだ。「チェンジリング」は児童集団虐殺という大事件であるが、背骨を支えているのはヒロインの心のなかを流れる、死ぬまでとぎれることのない希望という物語である▼こうみてくると「バード」は再生クリントの映画作りの突破口となった一種の厭世観、それは敗北感とはちがう、力の限り生きたから未練などない、そんな〈最高のなげやり〉でもあり、だから「どうにもならないものってあるだろ、おい」という、頬に深いしわを刻むあの笑い方であり、「さてバスで帰るとするか」(「人生の特等席」)と自分に言う、ゆったりした「ひとり感」が、最初にクリントのスクリーンに現れた映画のように思う。クリントはこの映画を「34歳で死んだ天才的ジャズ・ミュージシャン」という、どこを切り取っても劇的になるはずの映画にしなかった。語りは平板で淡々とし、色調は暗くタバコと酒と麻薬で身を滅ぼした黒人のサックス奏者。彼が天才によくみうけられる破滅的な生き方だったとかどうとかいう講釈はひとつもない。クリントはそういう「物語性」を注意深くはぎとってしまった▼バード(チャーリー・パーカーの愛称=フォレスト・ウィティカ)が、酒場で白人トランペッターのレッドにきく。「40歳まで生きたいか」彼は「あなたは?」と聞き返す。バードは答えない。カウンターにもたれ「むりさ」とつぶやく。この映画の主人公は40歳まで生きることができないとわかっていて麻薬をやめず、酒もやめず、胃潰瘍と肝硬変をかかえ、仕事に精をだし家族を愛し、廃人のようになって死んだ。それだけの映画だ。筋らしい筋もなくクリントはバードの半生をなぞっていく。才能にあふれながら怒りっぽく、幼稚でわがままで周囲との調和がとれず、サキソフォンを吹く時だけ別人になる。自分がなぜ自滅するのかさえわからない。麻薬をあさるバカな男。自分の行為が自分を破滅させていっているのに自制できない痛ましさ。彼のためにクリントは泣くことをせずただ見つめ彼のジャズを聞かせる。それがこんな男に対する最高の礼儀であるとでもいうように▼劇中バードが恋人チャン(ダイアン・ヴェノーラ)にいう。彼女はバードの口説きにひとつもなびかないのだ。「感傷を恐れるなよ」甘ちゃんだろうとセンチだろうと、生きる感情を甘美にするものならいいじゃないか。それが豊かなものでなくてなんだろう。彼のジャズはこの一筋につながる。麻薬も酒も自分の魂をだめにすることはできない。なにもわかっていなかったくせに、それだけは知っていた男にそそがれる監督の目は、冷ややかで深く静かだ。

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