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特集「銀幕のアーティスト」

2013年7月14日

特集「銀幕のアーティストたち」 ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ (1998年 伝記映画)

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監督 アナンド・タッカー
出演 エミリー・ワトソン/レイチェル・グリフィス

聖家族

 実姉ヒラリーと実弟ピアスの共著「風のジャクリーヌ」(ショパン社、高月園子訳)が原作だ。映画が公開されたときの反発は大きかった。あまりに内容がスキャンダラスで、ジャクリーヌ・デュ・プレを誹謗中傷していると、ロストロポーヴィッチら著名な音楽家たちが抗議を表明した。映画で描かれたジャクリーヌは姉ヒラリーの嫉妬によって歪曲された像だというのだ。本作の制作費700万ドルに対し興行収入が491万ドルとズタズタの成績だったのは、ジャクリーヌの元夫ダニエル・バレンボイムからの訴訟を恐れフランスで公開されなかったことにもよる。スキャンダラスな内容とは、ヒラリーと夫キーファが家庭を営む田園生活にジャクリーヌが闖入、神経が参ってウツ状態だったジャクリーヌが姉にキーファと寝たいといい、ヒラリーは仰天するものの結局夫を説得した。ヒラリーの娘によれば父親(つまりキーファ)とジャクリーヌの関係は一度きりではなく、父親が誘惑することもあった継続的な関係だったとしている。当事者が黙っていれば絶対おもてに出なかったことだけに、不世出の天才チェリストの恥部を暴いたとして、ヒラリーへの弾劾は強かった▼原作を読んだ。映画ではジャクリーヌが姉に頼んだことになっているが、事実は夫がジャクリーヌと二人でロンドンに出た時ジャクリーヌに懇請され受け入れ、事後妻に打ち明けた。こうなるとちょっとニュアンスが違う。キーファは継続的に義妹と「治療」のための関係を続け、家族の間では公然の秘密になる、しかしキーファがしばしば「ジャッキーを救うことがいちばん大事」と、二言目には「ジャッキーが大事、ジャッキーのため」と表明しているのがどうにも胡散臭い。美人で若くて天才チェリストで、奔放な魅力にあふれた女性に「寝てくれ」と乞われ、彼女を救うためだといいわけ、しい、しいベッドにもぐりこんでいくところが胡散臭いのよ▼ヒラリーはこう書いている「ジャッキーの面倒をみることはわたしの終生のパターンだった」ジャッキーの個性の強さは天下無類で、手に負えない妹だったのだろう。家族はこの娘の才能を世に出すためよくいえば一丸となるのだが、みなジャッキーという巨木に養分を吸い取られる。天才のいた家族ってこういうケースが多い。ゴッホと弟テオ、ゲーテとその一家、モーツアルトと姉のナンネル。家族のなかで「天才がなんぼのもんじゃい」とうそぶく野蛮人が一人でもいれば事情は違っただろうが、みな繊細でやさしく、感受性が強く家族思いだった。ジャッキーもご多分にもれず無意識にまわりの平和をかきみだす侵入者だった。ジャッキーは22歳でこれまたピアノの寵児ダニエル・バレンボイムと結婚するが、過密スケジュールで消化する世界公演に疲れ果て、ヒラリーにすぐ来てと電話する。ただならぬ気配に姉は「もちろん行くわ。どこにいるか教えて、ジャック」そこはアメリカだった。電話の向こうで受話器をひったくったバレンボイムに、夫婦の問題に口をだすなと怒鳴られながら「29歳で四人の子持ちだったわたしはそれまで一度も一人で旅行したことがなかったし、フランスより遠くへ行ったことがなかった。それが妹を救出するため新世界へ乗り出そうというのだ。だれもわたしをとめられない。ジャッキーにはまず英国に帰ることが必要なのだ」しかし本音もある「ジャッキーが自分に助けを求めてくれたことを嬉しく思う一方、ときどきわたしは愛するものすべてを、ジャッキーに捧げなくてはならない運命にあるのではないかとすら感じることがあった」これが嫉妬のあまり暴露本に走る姉だろうか▼ジャッキーは28歳のころ指先の感覚が薄くなっていることに気づく。多発性硬化症(MS)の発症だった。予想外の速さで症状は悪化し、演奏中チェロの弓を落とすようになり聴覚まで消えていき事実上引退する。体中にふるえがきて食事ものどを通らない。だれも手をつけられない。映画では見舞いにきた姉がベッドに入り妹を抱き低い声で話しかける。子供の時の海辺のできごとだ。「あのときあなたはわたしに言ったの。心配しなくていいと…そうよ、心配しなくていいの、ジャッキー。なにも心配することないのよ」ジャクリーヌは姉の腕の中で落ち着きを取り戻す。病気の進行はジャクリーヌの脳幹を侵し人格を破壊し言語能力を奪っていく。字を書くことは困難になり、記憶力が衰えつい最近家族が訪問したことを忘れ、だれも会いにきてくれないと狂気のように怒り狂った。彼女の感情の暴力はいちばん身近にいる家族に向けられた。特に母親に凶器のような残忍な怒りが浴びせられた。MSは筋肉のコントロールに影響し、自分で頭を支えることも言葉を発することもできなくなる▼ヒラリーはそんな妹が不憫でたまらなかった。妹が夫と寝ようとなにをしようと、自然児のようなジャッキーが憎めなかった「ジャッキーは本質的に自然を愛し雨に濡れながら歩くのが大好きで、シンプルな中に幸福を見出す洗練されていないカントリーガールだった。怖いもの知らずにみえるのは仮面にすぎず本当は恥ずかしがり屋で、マスコミの注目を浴び自分を宣伝しなくてはならないことを嫌っていた。ボンヤリしたところがあり完全に日時の感覚がなく、手紙もたいてい日付が抜けていた。だがたいへん気前がよく、家族にプレゼントを買い、海外で出演料を受け取ったときは為替レートを忘れてショッピングに明け暮れるのだった」そして「ジャッキーはわたしとキーファのあいだにいる限り、守られていると感じた」▼ヒラリーがこの本を書いた理由は、すでに家族間で公然の秘密となっていた夫との関係はいずれ世間に知られることになろう、あることないことが無責任な憶測で書き散らかされ、故人を含む家族全員が中傷される前に真実を明らかにし、この件にピリオドを打ったほうがいいと決めたのだと思える。姉妹二人弟一人に父と母。これが「家族揃った最後の写真となった」とヒラリーが書いた箇所は「聖家族」への愛と憐憫がたたえられている。

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