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特集「過剰な女たち」

2013年8月8日

特集「過剰な女たち」 ゴスフォード・パーク (2001年 群像劇映画)

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監督 ロバート・アルトマン
出演 マギー・スミス/ヘレン・ミレン/アラン・ベイツ/エミリー・ワトソン

尋常の女でない女 

 ロバート・アルトマンの映画に登場する女性たちはいずれも風変わりというか、そもそもアルトマンがメロドラマとかロマンティックな映画を撮るつもりがないものですから、一般受けしやすくわかりやすい女優はでてこない。化けの皮をヒン向かれたキツネのような存在で現れます。この「ゴスフォード・パーク」も例外ではない。第二次世界大戦前夜のイギリスの貴族階級を舞台にした殺人ミステリーですが、アルトマンの興味は殺人のトリックや犯人探しもさることながら、それをネタにこってりあぶりだした登場人物たちの虚飾、偽善、エゴ、欺瞞。狡猾…なにしろ30人近い出演者の名前を判別するだけでもたいへん。重要人物をさりげなく登場させながらアルトマンの筋運びは軽快です。殺人ミステリーとはいえ映画が始まってなかなか殺人が起こらない。真ん中をすぎてやっと事件の核心に入る。ここに至るまでアルトマンは何をしていたか。もっぱら役者たちに勝手なことをしゃべらせているようにみえます。豪華重厚な書斎のセット、イギリスの20世紀初頭の田園風景、身分をはっきり差別した格差社会はほとんどジェーン・オースティンの世界、貴族たちの贅沢な習慣(たとえばベッドに運ばれる朝食)、正装した晩餐のテーブルに何組も並ぶフォークにナイフ、ゲストたちのきらびやかな衣装、優雅な細工の施された燭台、銀の食器、執事、給仕、料理長にコック、家政婦たちと彼女らを仕切る家政婦頭、使用人たちがひしめき、迷路のように広い屋敷を自由自在に、泳ぐように出入りしながらいいかわす台詞に殺人の動機と犯人の情報が縫い込まれています▼屋敷中の男女関係の複雑なこと、金に困っている貴族の老女、夫に関心のないホストの妻、得体のしれない従者、ハリウッドから来たという映画プロデューサー、上流階級という共通認識のもとそれぞれの思惑が入り乱れ、だれも腹のなかが読めない。召使たちは好き放題に主人の悪口をいい、執事がきたとたん慇懃無礼に態度が変わる。主人と召使が同じ部屋で一対一になると、主人は召使がその日耳にした情報を言わせる▼「階上」とは貴族のいる場所。「階下」とは召使のテリトリー。二階と一階では住む世界が違う。一階にいる彼らのうわさ話や雑談や猥談は大衆文化の体現だ。グレタ・ガルボがどうとかこうとかゴシップに余念がなく、二階の人々は映画もみたことがなく娯楽といえば狩猟やブリッジだ。アルトマンが入念に書き込んでいく風俗や文化や時代の空気があまりにきめ細かく、メーンの殺人事件さえ映画の環境の一情景にすぎない、そんな錯覚に陥る。二階の人物ではマギー・スミス、階下の人物ではヘレン・ミレン。このふたりの女優の存在感が圧倒的だ。甥の男爵に一生面倒をみてもらう約束のマギー・スミスは、甥がそれを反故にする気配を察して翻意させるためこのパーティーにやってきた。マギー・スミス演じる伯爵夫人とは、貴族の(つまり労せず食べていくことを当然とした)階級の傲慢さとエレガンスを全身に放っている。ヘレン・ミレンは雇い主に妊娠させられ、生まれたら良家の養子にやるという言葉を信じたのに、彼は二日目に子供をとりあげどこかの施設にやってしまった。そのうらみが消えない。息子を殺人犯にさせないために雇い主の男爵を殺すヘレン・ミレンの、捨て身の母性が「殺人は罪だ」の意識を吹き飛ばす。男爵が死んでもだれも悲しまない。彼は殺されて当然という空気が使用人どころか妻にまである。捜査にきた刑事がトロいのをさいわい、召使たちは事情聴取に勝手なことをしゃあしゃあ言う。妻はさっさと屋敷を売却し遺産をがっぽり手にするつもりだ。よくぞ夫を殺してくれた、犯人さまさまみたいである。伯爵夫人のメイドがヘレン・ミレンになぜ息子が男爵を殺すとわかったのか聞く。「先をよむのが完璧な召使よ。わたしは完璧よ」眉もうごかさず、息子には自分が母親だと知らせることもない、たとえ警察にあげられようと「召使には自分の人生などない」と言ってのける。このときの刃のような冷たい光を放射するヘレン・ミレンが、尋常の女でない女を演じて余りあります。アルトマンはマギー・スミスには早々とオファし「階下のヒロイン」ともいうべき家政婦頭の役は、パーティーかなにかの席でヘレン・ミレンと会ったとき、ひそかに「この人」と決めたそうです。

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