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シネマ365日

2013年8月16日

特集 コメディエンヌ 穴/HOLES (2003年 コメディ映画)

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監督 アンドリュー・デイビス
出演 シガニー・ウィーバー/ジョン・ボイト/シャイア・ラブーフ

絶品の三悪人 

 ディズニー映画というだけで、ハッピーな結末を予測させるのはディズニーが築き上げた偉大な伝統のスタイルだろう。作品から夢と愛と生きる勇気を得て観客は映画館を出る。子供だけではない、大人にも同じ力を与えることができるのがディズニーの恐ろしさであり、このパッションとセオリーを立体化したのがほかならぬディズニー・ランドだった。だから映画評となると困るのよね。まさか「よかった、よかった」「おもしろかった、おもしろかった」だけで終わるわけにもいかんし。でもいくら粗筋を書いたところで「一見に如かず」であろうし。ところがこの映画はちがった。おもしろいのだけど、なにが面白くさせているかというと、そらまあ、脚本とか監督とかいろんな要素はあげられるが、一言でいえば「悪役」なのだ。主演でもなんでもない脇を固めるこの三人、なかんずく悪役好きのシガニー・ウィバーなのだ▼いわば少年刑務所のような厚生施設に入居、じゃなかった、入所したスタンリー(シャイア・ラブーフ)は果てもない砂漠の一面に無数に掘られた穴に「???」。刑期満了まで少年たちは炎天下で一日一穴、直径・深さとも1・5メートルの穴を掘るのである。もちろんなにかわけがあるが映画はこれをなかなか教えてくれない。所長になるのがシガニー・ウィーバーだ。理由とか意味とか因果関係とか一切なにも説明せず命令だけする。無表情な彼女の存在がドラマをミステリアスにする。相手が少年だって容赦せず、脱走すると「放っておきなさい。3日もしたら死ぬわ。時間を無駄にせず掘るのよ!」(これじゃエイリアンだって逃げるわ)▼所長の部下で少年たちの管理にあたるのがミスター・サー(ジョン・ボイト)こてこてに固めたカツラ。はちきれそうなメタボ腹をつきだし、神業のごとく所長の意図することを察する。もうひとりは施設にたった一人の医者でありドクターと呼ばれ、少年たちの味方のような素振りであるが全然そうではなく、いざとなれば平気で罪をなすりつける。彼らにはどこか愛嬌があるのだ。すぐわかるウソをつく、ばれるのにごまかす、怒り狂ってブン殴り撃ち殺すのかと思えば何事もないようにすぐ用事をいいつける。そう。この三人は悪漢の下に軽妙なコメディアンの衣装をまとっている。シガニー・ウィーバーは怒りと独裁に顔を歪めながら、ボイトはボケ役に徹しながら、ドクターはすぐ底のわれるずる賢さをチョイだしにしながら楽しんでいる。彼らが腹の中でたてている(ハハハ)の笑い声と余裕が、ある種の包容力のようなものをスクリーンにかもしている▼粗筋というのがちょっとややこしい。おおまかに言って三つの物語が最後の一点に集結する。物語のひとつはスタンリーとその祖先(具体的にはひい・ひい・ひいおじいさんか)もうひとつはスタンリーが施設で友だちになる少年ゼロとその祖先(こちらは占いの女性預言者である)。さいごのひとつがこの砂漠が湖だった時代に起こった悲恋とそれにともなって没落した一族の悲劇。回想シーンでそれらパーツのエピソードがはさまるが、キーポイントのシーンやセリフはそれぞれわずか数秒なので、よく思い出さないと意味がつながりにくいきらいがある。なんで所長が穴掘りに執着し、なんでスタンリーの名前入りのカバンが砂漠の中からでてくるのか、なんで神の親指という山の頂に少年二人(スタンリーとゼロ)がたどりつく運命なのか、やさしかったもと小学校の先生は、なぜキッシン・ケイトという女アウトローになったのか、砂漠の山の頂上になぜ玉ねぎがあり水があるのか、あー、もう二重三重のあみがはりめぐらされているのだ。すごいのだぞ、これは▼幾層にもわかれた回想シーンに注意しておこう。いちばんわかりにくいのはキッシン・ケイトと黒人の青年の悲恋のあと湖が干上がり、所長の先祖はそれがもとで事業に失敗し、キッシン・ケイトが銀行強盗して貯めこんだ金銀を取り上げようとするが、ケイトは在り処をいわず自殺してしまう、そこから所長の家系代々は砂漠に穴をほり財宝入りのカバンを探す運命になったのです、このあたりのいちばんわかりにくいところがわかればあとはすんなり筋が通ります。ガキどもが騒ぎたてているラストはお手軽すぎました。それまでのセンスあふれるおとなのシーンがぶちこわしでした。

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